「千年女優」 CinemaScape本登録をきっかけに

やはりオレはどうしてもこの映画の味方にはなれない。つまり、登場人物を将棋のコマのように扱う映画の味方にはなれないということだ。オレは映画の中の生きた人間と生きた時間を生きたいのであって、将棋のコマが進もうがひっくり返ろうがどうでもいいのだ。オレが頑固に信じ込んでいることのひとつに「作り手が映画を通して何かを語りたいとして、ただ作り手が語るのを金を払って聞いてくれる客などこの世にいない」ということがある。基本的に、人は映画を作っているおっさんの言うことなんぞにはビタ一文興味がないからだ。語りたいことを聞いてもらうためには、まず客の心を掴まなければならない。そして世のほとんどの映画監督は、語りたいことを聞いてもらうためにあらゆる工夫で客の興味を引き、身を削り血を吐いて面白い映画を作る努力をしているのだ。そこを乗り越えてこないくせに、いっちょまえに語りたいことだけを偉そうに語る映画は昔からあったし、オレは昔から嫌いだった。そしてそういう映画は今でもあるし、オレは今も嫌いだ。要は「お前ズルするな!」ってことで、そう言ってしまうとまるっきり子供みたいな考え方だが、これが偽らざる心境だ。
悲しいことだが、きょうび物語が方程式だなんて子供でも知ってる。だからといって、方程式であることを見せたくらいで何かをやった気になられても困るのだ。いつの世も人は方程式以上のものを見たがっている。そして物語は方程式以上のものになりうるし、人物は記号以上のものになりうる。これもオレが頑固に信じ込んでいることのひとつだ。将棋のコマをぞんざいに扱ってちゃダメなのであって、将棋のコマそのものに感情移入するくらいでなくてどうして映画なんか作れるんだろうと、オレはそこが不思議なのだ。ピクサーは電気スタンドに感情移入したではないか。筒井康隆は言葉だけで文房具に感情移入したではないか。

千年女優 [DVD]

千年女優 [DVD]