「キル・ビル vol1」とワーナーのアニメ問題

仕事終わり、ワーナーマイカル三田で。「キル・ビル vol1」評はCinemaScapeのコメントに書いたので、他の話を。「ラスト・サムライ」の最新予告編を観たが、やはり相当ムカつく映画のようだ。なんだ「将軍」じゃねえかこれ。だったら小雪より断然島田陽子だし、トムより断然リチャード・チェンバレンだよな。あれ面白かったな。チェンバレン、小便かけられるんだ。あれは子供心にびっくりしたな。
そしてワーナーマイカルに来るたびに思うのだが、本編上映前のアニメ(ポップコーン売ってるよとか禁煙だよとかの説明)は問答無用で不快だ。ものすごくイライラするのだ。アメリカのカートゥーンアニメ全てが嫌いなわけではないが(MGMの「トムとジェリー」なんか最高だ)、その多くは感情表現が独特でクセがあるのでオレは苦手だ。ワーナーマイカルで言えば、特にピストルを乱射したヒゲ男が「場内は禁煙だよ」というナレーションに対して、銃を体の後ろに隠し半目になってものすごく卑屈な笑みを浮かべながらカメラを見るカットなんか見るに耐えない。あれはカートゥーンにおいては基本的というか定型的な芝居づけなのだろうが、その「あたりまえのように、流れ作業のように」感情を表現してアニメーションをぞんざいにでっちあげている感じが大嫌いなのだ。美術もひどい。黄金時代の「トムとジェリー」にあった、あのシンプルな視覚的快感は皆無だ。だいたい何度も何度も上映するんだから、あんな短い尺くらいフルアニメで作れよ! ちゃんと24コマ描けよ! 殺すぞ! とまあこんな具合に、オレはワーナーマイカルシネマズではいつも不愉快な気分からスタートして映画を観ている。だから映画本編が始まると、嬉しくてホッとするんだ。もしかして、あのアニメは映画本編の評価を甘くするためのワーナーの策略なのか?