ゴシップ乞食

どこかの教授が、手鏡というクラシカルなアプローチで女子高生のスカートの中を覗いたとかいうかどで裁判中である。
検察は被告の「性的嗜好」として「かねて女子高生に強い性的関心を持ち、スカートの中をのぞき見ることや痴漢行為にも関心を持っていた」と言及。その証拠品として、押収した様々なエロ写真、ビデオなどを法廷に提出した。
言うまでもなく、これは有罪無罪の争点とは全く関係がない。そんなもん誰だって持ってる。マスコミが狂喜して報道することを計算したうえの、悪質極まりない「晒し」行為である。
オレは、条件反射的に報道するマスコミに今さらどうこう言う気はなくなっている。ジャーナリズムの正体は世界残酷物語である。あいつら騒げりゃ何でもいいんだ。
しかし晒しをやったのが検察となると、このオレも少々ビビってたじろぐのだ。裁判というのは「どう裁くかを決める場所」だと思っていた。しかるに検察はエログッズを晒すことでその場で一方的に被告を裁き、社会的に抹殺してしまった。被告はこのあと判決がどうなろうともはやまったく関係ないほどの大ダメージを負った。本当に痴漢行為をしていたと仮定するならお縄を頂戴して当然、しかしあの被告の場合、判決が出る前にして事実上とっくに人生終わっている。彼が犯したのは、本当にそれほどの罪だったのだろうか。被告が本当に女子高生のスカートを覗いたのか覗いていないのか、そこに興味を持っている人などもういない。「テレビに出ていた」「有名な」「大学教授」がエロがらみの醜態を晒しているというだけで充分なのだ。そして被告がやったとされることがどれほどひどいことであろうと、被告の醜態を消費して大喜びしている人間の方がオレには醜く見える。間違っているかもしれんが、でもそう見えるんだ。大人の社会がこんなザマで、どんなガキが育つってんだ。こんな国もう滅びてかまわん。