ジョン・テンタの死

ここ数日はDSEの話題で持ちきりである。今日の公開記者会見で、榊原社長は「オマエらがいる限り、いいか、オマエらがいる限り、PRIDEは、PRIDEは、いいかおいPRIDEは、絶対、潰さん!」と叫んで真鍋アナに水をブーッと吹きかけたらしい。「PRIDEは家族なんです!」てなわけで、まあ残念ながらその道は大仁田さんが5000年前に通った道なんだよな。そして大仁田さんのほうが歴然とクォリティー高かったんだよな。結論としては、やはり大仁田さんは最高だ、最高すぎるぜ大仁田さんとなる。

そんなことよりオレが今日愕然としたニュースは、ジョン・テンタの死である。以前テンタについて調べたことがあるので、そのときの資料に加筆してテンタを偲びたい。オレはテンタが好きだった。すごく好きというわけでは全然なかったが、それでもやっぱり好きだったんだと訃報を聞いて気がついた。

ジョン・テンタ、1963年6月22日、カナダ・バンクーバー出身。
ルイジアナ州立大学時代はアマレスの強豪。83年、ロスでのジュニアワールドチャンピオンシップ・スーパーヘビー級の決勝では、ゲーリー・オブライトと対戦して勝利。オブライトとのアマレスの通算戦績はテンタの2勝1敗。

85年10月、大学を中退して大相撲入り。佐渡ヶ嶽部屋で「琴天太」「琴天山」の四股名をもらい活躍した。前相撲から連勝を続け、序の口、序二段、三段目と無敗の快進撃。史上3人目の3場所連続優勝となった。この時までに前相撲を含めて24連勝だったが、関取も間近に迫った時、場所直前に名古屋から謎の失踪。その後、東京の通訳女性宅に舞い戻ったが、以後は結局部屋には戻らずそのまま廃業してしまった。当時この失踪劇は大いに話題となり、週刊誌を賑わせた。古い相撲社会についていけなかったのが理由と言われており、日本文化と西洋文化の摩擦が引き起こした象徴的な事件とされる。

失踪騒ぎの後、テンタは新日本プロレスと全日本プロレスを訪問。前代未聞の両団体による公開争奪戦に発展する。86年7月に全日本プロレスに入団、87年5月にデビュー。馬場と組んでラッシャー木村、鶴見五郎組と対戦した。その後、バンクーバー地区のUWAマットに出場。UWAカナディアンヘビー級王座を獲得。10月に全日本プロレスに登場。87年にカブキ、88年に高野俊二と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦に出場。89年秋にWWFに入りアースクエイクを名乗る。ハルク・ホーガンと抗争を繰り広げた。

91年4月、当時WWFと提携していたSWSに来日。北尾との対戦が有名。2連戦の第1試合で北尾は技のミスを連発しテンタが勝利。2日後の第2戦、北尾はスポット破りの脇固め、膝を狙う蹴り、喉輪などで威嚇、目潰しのポーズまで見せた。しかしテンタはひるまなかったので、北尾はレフリーに暴行。反則負けの裁定の後、北尾は「八百長野郎!」と場外のマイクで叫んだ。プロレスにおいて「八百長」発言はタブーだったため、北尾はSWSを解雇となる。
実は第1戦後、北尾が次の対戦を拒否。北尾は胸の骨を怪我させられたと周りに吹聴。第2戦の前、ブッカーのカブキがテンタに「負けろ」と指示。テンタは従う気でいたが、北尾が暴走した結果の試合だった。背後には北尾に対する観客のブーイング(北尾があまりに下手だったため。自分をスターと思っていた北尾とファンの認識には大きな差があった)、元横綱と元幕下という相撲界の格意識が厳然と存在した。

92年7月、タイフーンと組みWWFタッグ王座を獲得。93年にWWF離脱。94年にWCWに入りシャークと名乗る。日本ではWAR、新日本、Uインターにも来日。98年5月にWWFに復帰。覆面レスラーのゴルガを名乗る。99年5月に離脱。その後は欧州などを転戦。2001年にイギリスに遠征したが、契約時の報酬を払ってもらえず、レスラー稼業に嫌気がさして引退を決意。トラックを買って、運送業を営む。

しかし2002年、全日本プロレスの最強タッグ決定リーグ戦に天龍のパートナーとして参戦を果たす。ブランクのせいか、場外に落とされたまま上がってこれずリングアウト負けを喫した試合もあった。しかしテンタのデビュー戦のシューズ、コスチュームをプレゼントしてくれたのは天龍であり、これで来日が最後だとしても悔いはないと語った。

ジョン・テンタが、もしあのまま相撲を続けていればどうなっていただろうか。今さらそんな「もし」が虚しいのは明らかだが、もしかしたら大関、横綱に手が届いていたのかもしれない。テンタは角界を去り、プロレスの世界に身を投じた。テンタは組まれた取り組みを全勝する事によって、相撲の面白さを見失ったのか? それとも理不尽で封建的な角界に幻滅したのだろうか?

プロレス入りの後も、テンタは相撲のことに関しては一切口を開かなかった。そのまま、黙って死んでしまった。佐渡ヶ嶽部屋から新たなコメントでも出ない限り、もう真相を語るものはいない。それでいいのかもしれない。ただオレは何かを求めてアマレスから相撲、相撲からプロレスに辿りついたテンタの一生が終わりを迎えた今、ジョン・アースクエイク・テンタが、数々のリングを渡り歩いた自分のプロレス人生にどうか満足していてほしいと願うだけだ。オレの耳は、WARの両国国技館大会でテンタが起こしたアースクエイクの地鳴りの音をまだ覚えている。