PRIDE.34

友人宅にお邪魔して、スカパーPPVで「PRIDE.34」を観せてもらう。
しょぼいカードながら、感慨深い興行だった。輝いていたものが落ちてゆくのはいつも寂しく、しかしなぜかいつも観てしまう。落日の闘魂神話。
超新星・ソクジュさんにはシビレた。
猪木の支配から脱した藤田は、PRIDE代表を名乗って敗れた。これは明らかな雇われ仕事だが、しかしイデオロギーを持たない藤田は今後もこのような仕事を請け負っていくしかないのだろうな。しかし、ならばトンプソンさんをやっつけてガオー、みたいな画を常にリング上で見せていくしかないわけで、これはこれでもう決して若くない藤田にはイバラの道だろう。
桜庭と田村が登場。あれはバラ流のサプライズや。これにはオレもグッときた。田村のマイクを聞くのは実は怖かったのだが、お仕事感のない真摯なマイクだった。桜庭の子供のような号泣、田村の抑えた色気、やはりどこまでも絵になる2人であった。しかし、このカードの意味をロレンゾ氏は理解できるのだろうか。
確かにPRIDEは「世界最高峰」を謳う格闘競技のリングだったが、同時に「新世紀のプロレス」を感じさせる混沌の場でもあった筈だ。ヒクソン戦に向かう高田と抱き合った宮戸、猪木のダー、高田のもう一丁、アレクの栄枯盛衰、高田のふんどし、高山のド根性、高田の出てこいや、カシンのハイアン戦、高田のそうだよねTK、小川のハッスル、安生のハイアン戦、高田のタップ(ダンス)、そして時代を美しく彩った桜庭のプロ意識。
プロレスを知らずPRIDEから格闘技ファンになった人々にとって、桜庭vs田村は凄いカードに思えるのだろうか。そしてロレンゾ氏にとって、桜庭vs田村は凄いカードに思えるのだろうか。なんとなく不安を感じる、しかしやっぱり観たい、どうにも切ないカードである。
高田の仏頂面の向こうに、前田日明の影を見たプオタは多かろう。あの高田の仏頂面は、UWFから脈々と続く大河プロレスの「現在」なのだ。そこに意味と価値を見出せる人に、今後のPRIDEを運営してもらえたらいいのになあと思う。なんだったら、また劇薬・佐山聡*1に触ってもらってもいいよ。

*1:PRIDE GP2000決勝のリングに上がり、「寝っ転がって固まって、ゴロゴロやってるPRIDEの皆さん! 掣圏道です!」と挨拶した。