「アバター」感想

ジェームズ・キャメロンの「アバター」3D字幕版を観てきたよ。観客をとことん満腹させないと帰さない、キャメロン先生らしい大盛り山盛りの162分でしたよ。ネタバレありますよ。

目で見る、判る、信じられる。その体験が映画なんだと思う。(★4)
ジェームズ・キャメロンの映画に言葉だけの説明、語られぬ誤謬、認識できぬ運動は存在しない。キャメロンは見せる。きちんと見せることによってしか観客はフィクションを信じないということを知っている。目で見る、判る、信じられる。その体験が映画なんだと思う。

主人公ジェイクは半身不随の元海兵隊員だ。これは容易ならぬ問題を抱えた存在で、モリモリマッチョのヤロー軍団の中にあって、彼は男ではない。かつては男だったが、もう男ではない。どこか精神的に去勢されたような存在だ。その彼がアバター実験で何を感じたか。自分の足で大地に立ち、自分の足で野を走る彼の歓びはどれほどのものか。立った立った、クララが立った! 正直言ってオレはもうここで映画が終わってもいいと思うほど心動かされたのだが、映画はまだ始まったばかりなのであった。

この映画の半分は、ジェイクが男を取り戻してゆく物語だ。ナヴィ族の中で、様々な学びと通過儀礼を経て、ジェイクは失われた男性性を取り戻してゆく。オレがこの過程を胸躍らせて観ていられるのは、これが「アバター」という科学の力をもってこそ可能とする物語だからだろう。キャメロンは、根っこの部分で科学への信頼と憧憬を抱いている。これはねえ、かつてオタク少年であった善良なるオタク中年にはグッとくるんですよ。血ヘド吐いてのたくるばかりが男になる方法じゃないんです。

すでに指摘されているようにこの映画、大枠は「風の谷のナウシカ」であり「もののけ姫」だ。それでいて自然と人間、生命にまつわる思索は「ナウシカ」原作における宮崎駿の凄まじく厳しい認識の足元にも及んでいない。これを底が浅いと断ずることは宮崎の威を借りる日本人ならば簡単で、オレが満点をつけなかった理由もここにあるのだが、それでもオレにはこの底の浅ささえもが好もしい。キャメロンは、自分が信じ夢見たことを映画にしているのだ。それは作家としてまっとうな姿勢だ。

ジェイクは男を取り戻し、取り戻すばかりか勢い余って空の王者である赤い翼竜を駆る伝説の男となって再登場する出世魚っぷり。ナヴィ族のリーダーとなって演説をかますのであるが、これを無責任な白人酋長の戯言とは思わない。彼は現世の人間界と決別し、ここで闘って死ぬ覚悟を決めたんであって、自分を男と認めてくれた人々のために殉じるという人生の選択をしたんだよな。彼我の戦力差を知った上での決断に、他人が口を挟めると思うのは傲慢だろう。

個人的には、この映画の宗教というものの扱いも大いに気に入った点だ。人間たちはすでに宗教を失ったかのように描かれている。ジェイクの兄は事務的に、ダンボール箱で荼毘にふされる。胸に十字架をぶら下げたやつもいないようだ。ナヴィ族には宗教らしきものがあって、その解釈としてシガーニー・ウィーバーがこの星のネットワークによる知性を示唆する場面もあり、晩年のアシモフが描いたようなガイア理論を連想させる。瀕死のシガーニー・ウィーバーはホームツリーの力では助からず、やはり迷信にすぎないのかと思わせておいて、結末は御存知の通り、爽快な喜びをもって締めくくられる。

ナヴィ族の宗教は現代のキリスト教にとっては異教邪教の類もいいところだが、キャメロンは科学的裏付けをでっちあげた上でこれを力強く肯定する。そうだ、SFは宗教より偉いのだ。宗教を超えたものがSFなのだ。キリストは見たのか、オリオン座で燃える宇宙船を。タンホイザーゲートのCビームを。やがてそれも消える、雨の中の涙のように! SFとは精神の自由な飛翔であって、人類が必要としているのは宗教よりもむしろそれだとオレは信ずる。キリストよりボウマン船長の方が凄えんだよ。ま、これについてはご同意いただけるとはあんまり思ってない。

最後に、キャメロンの演出について少々。

カメラを振り回してアクションをリアルっぽく見せるという「仁義なき戦い」式演出法は、近年のアクション映画や特撮映画において遂に胡麻化しの方便にまで堕落した。言うちゃ悪いけど、ズバリ言ってトニー・スコットのエフェクトガチャガチャやカメラブレブレは観客をバカにしてますよ。これで観客を騙せる、大丈夫だ問題ない胡麻化せると、連中はこう思っとるわけですよ。マイケル・ベイなんかに至ってはそもそも演出が苦手なかわいそうな監督だからまーいいかなとも思うけど、トニスコがそれではまずいだろうと思う。

特撮やアクションにおける「ものの見せかた」においてキャメロンが絶対に信頼できるのは、ご都合のウソをつかないからだ。必要な手順をきちんと踏み、すべてをまざまざと判りやすく見せる。そこに胡麻化しはない。この映画のクライマックス、大怪獣空中決戦やパワードスーツの大暴れを見れば明白だろう。もしこれをきょうび流行のカメラぐらぐら映像ブレブレで胡麻化されてたら、オレは3Dメガネをブン投げてスクリーンをブッ裂いてたぜ。

キャメロンの観客に対する誠実さは、オレにはたいへん好もしいものに思える。映画の演出に決まったやりかたなんてある筈もないんだけど、それでももし映画の教科書というものがあるとすれば、キャメロン映画は教科書たりうる普遍性を持っていると思う。キャメロンは映画にたくさんの流行をもたらした先駆者で、この映画でも今後の3D映画の基準を作りあげたが、本質的には流行を飛びこえた王道の人であって、疑いようもなく「アバター」もいずれは古典となろう。

最後の最後にひとつ。大佐がエアロックぶち破って銃を撃ちまくるシーンは最高だよなあ。あのためらいのなさ、映画で人間を描くってこういうことだ、ホントに教科書に載るくらい素晴らしいシーンだと思ったねえ…

The ART of AVATAR ジェームズ・キャメロン『アバター』の世界 (ShoPro Books)

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ジェームズ・キャメロン 世界の終わりから未来を見つめる男

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