クマと闘った藤原喜明

最近読んでる増田俊也さんのブログ「増田俊也の憂鬱なジャンクテクスト」(面白い!)に、思わず懐かさがこみあげた記事があった。

藤原喜明の「熊殺し」を大山倍達が激励する映像。格闘技界全体に夢のあった時代。

藤原喜明vs熊の動画があった。これは完全な真剣勝負だ。

そう、藤原喜明vs熊という闘いが確かにあった。格闘ロマンの道を突き進むセレブリティの諸兄ならご記憶にあるやもしれぬが、問題の映像は1994年の1月、TBSで放送された。

さてこの番組が放送される前、あるライブイベントで藤原喜明本人が熊との闘いを生々しく語った現場に、幸運にもオレは居あわせていたのだ。そこで藤原が語った内容を、ここに紹介したいと思う。

ライブの名は「猪木とは何か?イベント編 炎上・共犯者たちの宴」。主催は小さかった頃の雑誌「紙のプロレス」。1993年12月25日の夜から、翌26日の朝までオールナイトで行われたライブイベントである。当時ハタチそこそこの学生だったオレは、8000円だか9000円だかのバカ高いチケットを買い、友人と浜松町のライブハウスに潜り込んだのだった。思えばこの頃こそが、紙プロのいちばんいい時代だったなあ。

以下、同ライブの再録本「アントニオ猪木×ターザン山本 命懸けの対談」より抜粋して引用する。引用っちゅうかもはやこれは転載であり、著作権的にコラ!と怒られたらすぐに消さなきゃならない類のものなんだけど、同書はとっくに絶版で、世謝出版もすでにこの世になく、しかし失われるにはあまりにも貴重な証言ですので、びくびくしながら紹介致します。現「kamipro」の皆様、どうかあまり怒らないでくださると嬉しいです。

司会進行は、あらゆる意味でまだ生きていた頃のターザン山本。以下はターザン山本アントニオ猪木の対談中に、藤原が飛び入りで参加してからのものだ。この会場に、オレもいたんだ。懐かしい…

山本 ところで猪木さん! 藤原さんはテレビ番組でカナダに行って熊と闘ってきたんですよ。

猪木 えっ? その話、聞かせてもらおうじゃねえか(笑)。

(会場「ウォー!」)

山本 (立ち上がって)あれはホントなんですか、ヤラセなんですか?

藤原 だってね、話が違うんだもん。

(会場 爆笑)

藤原 サーカスの熊だからね、絶対大丈夫だからって。じゃ、行ってみるかって行ったらね、冬眠の寸前。

(会場 笑)

藤原 無理やり起こしたもんだから機嫌が悪い。仕込んでいない、全然。

山本 どうなったんですか。

藤原 いきなり行ったらね、ウォッ、ウォッ、ウォッ。「今日はおかしいな」って言ってるんですよ。でもしょうがねえから、今日しかねえから行けって言われて。困ったなあ、金も何千万かかかってるしね。ここで帰るっていったら全部パーだし。しょうがねえなと思ってさ。テレビの人たちが「いや、万が一の時はオレらが助けに行くから」って。よく見たらちゃんと鍵ガッチリ締めてるんだよね。ガブって噛まれたら助けにくるまでに3分か4分かかるんですよ。

(会場 笑)

藤原 冗談じゃないですよ。でね、銃持ってる奴がいるんですよ。でも銃に弾が入ってないんですよ。

(会場 爆笑)

藤原 助ける気なんか無いですよ、全然。

(会場 笑)

藤原 だけど、しょうがないからやったんですよ。こう、構えて熊に向かって行ったらね、1発ここ(頬を指して)をバーンと殴られてブッ飛んだんですよ。まあ、これだったら大丈夫かなと思ったけど。やだなあ、ちきしょうと思ってね。あの時、あいつに金貸してたなあとかね。

(会場 笑)

藤原 とかなんとか思いながら、こう立ち上がって行ったんですよ。そしたら2発目がですね、(肩を指して)ここをガブーッと噛まれて、また殴られてフッ飛んだんですよ。そしたらボーッとなってね。首がビリビリビリビリって。あれ〜。これ3回目きたら殺されるなと思って。で、後からビデオ見たんですよね。したらね、瞬間にバーッとやられたと思ったのがね、スローモーションで見たら、ジャブが入って、ガブッと噛んで、それからこっちの手でバチッと張り倒されてる。瞬間なんですよ。あのほら、熊って。あの、(立ち上がって)こういうふうに立ち上がるでしょ。あれは芸なんですよ。絶対熊は立たない!

(会場 爆笑)

藤原 あれは芸やってるだけだから。普通はさ、こう四つ足でモソモソ歩いてて、立った瞬間にバチーンッですから。す〜ごいの。話違うんだもん。

(会場 大爆笑)

藤原 でも、ひっぱたかれる瞬間ね、ああ熊っていうのは強えなあ、熊の怖さに比べたら人間なんかゴミみたいなもんだなあと思ってね。いや、いい勉強になりました。もう、次の試合から、ああ熊に比べりゃ弱いと思ったら誰とでもできます。

(会場 拍手)

猪木 熊といえばアメリカにね、昔はけっこう訓練されたのがいて、受け身とる熊がいたけどね(笑)

(会場 笑)

藤原 ちゃうちゃうちゃう、社長、あのね、ちょっと待ってください。いくら訓練したとしても、コロッと変わることがあるらしいですね。ボーンとひっぱたかれたら、顔なんか半分ふっとんじゃいますからね。一概に、サーカスの熊だからってバカにしちゃいけないですよ。

山本 藤原さん、そのテレビ番組のタイトル見たら「人間対熊の異種格闘技戦」って書いてあるよね。

藤原 そうですよね。

山本 いつ放送するんですか?

藤原 1月の20日ですね。1時間番組で。

山本 TBS。

藤原 8時から。えらい番組です。む、む、無責任ですよ。

山本 無責任だねえ。

藤原 テレビの正体がわかりましたよ、ホント。自分らは金網の外からね、震えながら見てるんです、こうやって。あれは監督とさ、ディレクター? あの〜、カメラが3台あったんですけどね、「何があってもフィルムを止めるな」。

(会場 爆笑)

山本 猪木さん、これはやっぱりあれですよ。1人社長になってね、選手もみんな逃げていって、もう何でもやらないといけないという苦労を味わってるわけですよ。ねえ。

猪木 あんまり、だから、我々が生活に大丈夫になっちゃうとやりたくないもんね。あっ、オマエはやるか。趣味だもんな(笑)

藤原 ボクね、いまは人前でしゃべるの大好きなんです。

(会場 笑)

藤原 しゃべりたくてしょうがないです。

山本 藤原さんのあそこの道場借りるだけで大変な金だもんね。何でもやらなきゃ。

藤原 はい、大丈夫です。

山本 猪木さん、なんかイベントやるときは必ず藤原さんを使ってあげてるようにしてください。何でもできますから。

藤原 もう熊はヤですよ。

猪木 オレは借金でどうにもならなくて自殺しようなんて思ったことがあってね。考えてみたんです。だけど自殺ったって、首吊りはやだし、かといって飛び降りも痛えだろうし。

藤原 熊はどうですか?

(会場 爆笑)

猪木 いやあ、ライオンとやろうと思って(笑)。でも昔、ボディビルダーの元祖っていう奴がライオンと闘ったっていうけど、あれはウソだと思うんだよねえ。ライオンには絶対勝てないと思う。

藤原 それ言ったらいっぱいいるんですよ。ライオンにトラですね。犬だってですね、60キロ、70キロ体重があったら恐いですよ、チンパンジーだって怖いですよ。シャーッて。猿だって気合入れたら怖いですよ。動物は強いですよ。

(会場 笑)

猪木 オレは何回かアフリカへ行ったでしょう。それでタンザニアにね、ホントに野生の奴を捕まえてきたばっかりの私設動物園がある。そこでライオンの餌付けをやったんです。それで広い金網の中に入れてあって、縞馬の足をポーンと1本置いてね、ライオンが出てくるんだけど。まず威嚇するんですね。エサを入れたらオレたちをズーッと威嚇して、それから様子見てゆっくりと。爪の大きさとか見たら、あれで殴られたら顔が半分飛んじゃう。ただそれでもね、眼で勝てねえかなと思ったりするんだよね(ニヤッと笑う)。

(会場 爆笑)

猪木 自殺の話に戻すと、どうせやるなら、ライオンと闘う一大イベントを組んで、そしてもしかしてオレが勝ったりしたら、また復活かなあなんて思って(笑)。

(会場 爆笑)

猪木 そんなことを思ったこともありますけどね。昔の剣豪が眼で勝ったとかさ、よく言うじゃない。そういうものもあるのかなあという気もするんだよね。

藤原 ボクは無いと思いま〜す。

(会場 爆笑)

藤原 いや、私も信じて生きてきたんですけど、ずーっと。でも、熊の前に立ったら、なーんか全部ウソだと思って(笑)。

(会場 爆笑)

藤原 私もですね、考えたんですよ。なあに、熊が強くたって、何か隙があるだろうと。横へ回ってね、横から倒せば倒れるかもしれないとか。なんだったらね、肋骨になんか一発入れればなんとかなるんじゃないかとか…。なんとかならないっすよ、あんなの。

(会場 爆笑)

猪木 いや、でもおもしろい経験をしたね。オレは熊とはやりたいと思わないけど(笑)。

当時の藤原の状況を説明しますと、1993年に藤原組からパンクラス勢がごっそり抜けた後、石川雄規とともに細々と藤原組を続けていた時代である。その石川も95年にはバトラーツを旗揚げ、独立することになる。

猪木は翌年1月4日に、東京ドームで天龍源一郎と試合をする直前だった。1993年は一連の「猪木スキャンダル」が吹き荒れた年であり、この会場を埋めたボクちゃんたちはそんな時期に猪木イベントにホイホイ集まるような、格闘芸術に理解を示す仮面貴族だった。

ターザンは当時、飛ぶ鳥を落として煮て食う勢いの週プロ編集長。惜しい人を亡くしました。

そして何よりも、1993年はUFCパンクラスK-1が始まった格闘技元年でもあった。華々しい格闘技時代幕開けの裏で、無謀にも熊とガッチンコ闘った藤原喜明。やはり我々は、この人には一生頭が上がらないのである。

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