「涼宮ハルヒの消失」

土曜の夜に映画「涼宮ハルヒの消失」を観てきた。「涼宮ハルヒの憂鬱」は本当に久しぶりに面白いと思った現代アニメで、当時の感想が id:Dersu:20060430#p1 である。4話観た時点でこの感想とは、我ながらなかなかこの人見る目があると思う。この作品は、オレの昔は良かった式の固定観念を壊してくれた。その一方で、オレをまたぞろアニオタ畜生道へと引きずり戻しやがった。今回はシリーズ初の映画化作品。

劇薬ヤマカンの不在が目に沁みる (★3)
テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の一期が突出して面白かったのは高いクオリティーもさることながら、作り手のトリッキーな「仕掛け」が尽く当たったのが原因だった。時系列シャッフル、エンディングのダンス、様々なパロディネタなど、時に挑発的でさえある仕掛けの裏には、シリーズ演出を担当したヤマカンこと山本寛の存在があった。また、時としてこのオタク向けアニメが不意に文学の香りを発する瞬間が多々あり、オレはこれもヤマカン先生の仕事なのだろうと推測する。その理由も簡単で、スタッフからヤマカンが抜けたシリーズ二期は気が抜けたような出来で、正直あんまり面白くなかったからだ。

映画『涼宮ハルヒの消失』はライトノベルである原作を非常に尊重した、極めて実直な映画だった。いっそ愚直と言ってもいい。これ原作者や原作ファンは嬉しいだろうなあとは思うものの、ただ面白い映画を観たいオレはあんまり喜べなかった。メチャクチャ丁寧に作っているのだが、丁寧すぎてなんだかどんくさいと感じた。

たとえば劇中何度となく繰り返されるキョンの目覚め、あんなもん最初の一回キチンとやればたくさんで、あとはビッシビシ省略できたんじゃないかと思う。一期のようにキレのあるカッティングでビシビシ映画的省略をキメ、どんどん話を進めてほしかった。それこそが「ハルヒ」のテンポだと思うのだが、「消失」はそもそもダウナーなお話で、原作を尊重する以上は大胆な改変も難しかったのだろう。それも判る。だからこそ、ヤマカン先生の不在が大きいと感じてしまうのだ。彼なら、原作よりも「映画であること」を優先させただろう。大胆な改変も厭わなかっただろう。なぜならば、彼は「作家」だからだ。なんだったら原作者より自分の方が偉いと思ってる。逆に言えば、本作の監督武本康弘石原立也はすぐれた演出家ではあっても、エゴを貫く作家ではなかったのだと思う。

改変世界長門に情を残しながら、それでも元の世界のハルヒを求めるキョンの決断は断腸の思いで為されねばならぬ。今作はここをまったく描けていないが、それも原作通りというわけだ。キョンが葛藤すべきはエンターキーを押す瞬間なのだが、そこはアッサリ押してしまい、校門前の短針銃の場面で思い悩んでみせる。これ、ズレてんだよな。原作からしてズレてんだよ。そんな原作を勇気を持って直せなかったのが今作だ。結果、この映画は胸が苦しくなるようなラブストーリーになりそこねた。

まー当然、ヤマカンがいれば必ず成功するってもんでもない。ヤマカン先生はホームランも打つが三振も多い印象だ。だから、「消失」は手堅くバントしたのだろう。そして何よりも、にやけたオッサン面ぶらさげて胸が苦しくなるようなラブストーリーを期待して公開初日に『涼宮ハルヒの消失』を観に行くオレ様ちゃんは死ねばいい。でも反省しないぜ!

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