早急にクマを絶滅させようと思った話

御無沙汰しております。このところ仕事がひどく忙しく、いっそもう毎日毎日交通量調査とかの自分の生きた痕跡を残さないジョブだけをして家ではネットとか自炊とかだけしてその日その日を無為に過ごして無駄に年とってみたいという誘惑にかられている。そりゃ意義のある人生は素晴らしいだろうけど、意義のない人生が最悪かといえば、素晴らしくはないものの最悪というほどでもあるまい。だって、ただボーッと生きてるだけで、それだってけっこう素晴らしいことだよ。なぜそう考えるようになったかを、以下に記す。

先日、仕事で北海道の某所へ2週間ほど滞在した。わけあって詳しいことは全然書けないのだが、滞在中にオレは山でクマに遭遇するという体験をした。

山とはいえ市街地も近く、山道とはいえ舗装された車道である。オレともうひとりの同行者は徒歩だった。クマは我々に襲いかかることもなく通り過ぎ、我々はケガもなく無事だった。我々は警察に通報し、ハンターが山に入ったそうだが、クマが移動を続けて去ったため捕物にはならなかったそうだ。

この現象、それ自体はまあいい。あとで聞いたところでは極めてレアケースだったらしいが、そういうこともあろう。この国には残念ながら、クマがいてヒトがいる。たまには出会うこともある。ここに書きたいのは、クマに出会った後のわたくしの心境である。

日本にはクマがいる。本州にはツキノワグマが、北海道にはヒグマがいる。たまにヒトとクマが出会い、不幸な出来事があると小さなニュースになる。オレだって、それくらいのことは知っていたのだ。しかし、「知っている」ことと「理解している」ことは、まったく別の事柄だった。オレにとって、クマはニュースの中にたまに出てくる登場人物だった。どこか遠い世界の出来事のように感じていたのだ。あのねえ、目の前に現れると全然違うよ。全然違います。この国の山林にあんな黒いでかいやつがウロウロしてて、それが自分と「地続き」の存在なんだ、あいつの手はオレに届くんだと実感すると、これ大袈裟に言うならば世界観が変わります。

どちらかといえば、わたくしは動物を愛し自然を大切に思うほうの男だと思って生きてきたのだ。しかし今回、有体に言ってオレはこの国に生息するクマを殲滅すべきだと思った。この国に、人間を軽々と殺す能力のある獣がゴロゴロいることを実感として理解し、これはたいへんに危ないなと感じた。早急にクマを絶滅させよう。そうしよう。よし、やろう。

だって、あなたの近所の山に猟銃を持った全裸のキチガイがウロウロしてるとしたらどうですかお客さん。そいつは人を見れば撃つかもしれないし、撃たないかもしれない。そんな場合は、ランボーの一作目みたいに山狩りとかしてキチガイを逮捕するでしょう。じゃーなんでクマは逮捕されないの。なんでされないのっ。

…といったようなことを即座に、ほとんど反射的にオレは思ったのだ。冷静に考えれば、乱暴な話である。怠惰な都会人の、ヒステリックな反応でしかない。クマもヒトも共存すればいいし、時にはいたしかたのない不幸な事故があってヒトが殴り殺されたりクマが撃ち殺されたりする。そういうもんだ、それが自然ってもんだ。交通事故なんか、毎年何千人も死んでる。そっちのほうが大問題だ。

しかしですね、こと自分の身の上の話になると「不幸な事故」ではすまされねえぜ、冗談じゃねえぞと、これだって本音なのだ。この本音を、クマに出会ったこともないやつに否定することはできないぜ。悔しかったら丸腰でクマに遭遇してみろよ。変わるよ… 何もかも…

以前、クマと闘った藤原喜明の話を書いたことがあるが(id:Dersu:20100121:p1)、藤原は凄いよ。あんなもん、どうにもならんよ。クマの前では、人間なんてゴミみたいなもんだ。ムツゴロウは凄いなあ…

羆嵐 (新潮文庫)

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