「SUPER 8」

SUPER 8/スーパーエイト [Blu-ray]

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巷で話題の「SUPER 8/スーパーエイト」を観てきました。バルト9新宿ピカデリーは混んでそうなので新宿ミラノ座に行ったら、驚くほど空いていた。映画を観に歌舞伎町へ行くという習慣が、もはや新宿の民衆から失われているんだと実感した。感想はネタバレなのでご注意。

列車が転がるまではよかったよ (★3)
「スーパー8」とは、コダック社が作った8mmフィルムの規格だ。この映画に登場する少年たちは、スーパー8を使って映画を撮っている。音声の同録まで行なっており、本格的だ。えらく金回りがよさそうな連中だなーと思う。

なぜそう思うのかというと、オレはスーパー8には縁がなかったものの、国産規格である富士フィルムシングル8なら小学生の頃に回したことがあるからだ。音声なんか録れないし編集機材もなかったが、気合の一発順撮りノー編集で撮りましたよ宇宙人の襲来映画を。実景にかぶるタイトルは透明プラ板に手書き、宇宙船から出る怪光線はフィルムのひとコマひとコマに直接針で傷をつけて描いた。まあ宇宙船からの怪光線攻撃で自衛隊の戦車(の模型)が炎上爆発するあたりまで撮ったら飽きちゃったんで、その日は友達とゲーセンに行ってハイパーオリンピックとかして遊んだような気がする。それでも現像に一週間待たされたフィルムの映像には興奮したし、針で描いた光線の動きを映写機でいちいち確かめるのは原始時代のアニメーター気分だった。ズバリ言わせてもらえば、あの特撮ごっこは「SUPER 8」のエンディングにおける連中の映画の列車事故のシーンよりはずっといい出来だった。それはそうだ、やつらの師はロメロかもしれんが、こっちの師匠は円谷英二である。格が違いすぎるのである。それにしても8mmはフィルムも現像代も当時の小学生にとってはバカ高く、こんな金のかかる道楽は続けられんなあと思っていたらビデオ時代がやってきたのだった、という昔話。

この映画の親のひとつである「E.T.」の時に感じた違和感を、オレは30年近く経ってから再び味わうこととなった。「E.T.」は、父親を失った少年の心の傷がE.T.との出会いと自身の成長の果てに克服される、というストーリーラインの映画である、とされている。とにかく世間じゃそういう事になってる。オレには全然そうは思えなかった。おっかないオヤジがいなくてお前らやりたい放題でサイコーだな、ちょっとオレもダンジョンズアンドドラゴンズに混ぜてくれよと思ったものだ。冷蔵庫に食い物がいっぱいで、こっそりビールを飲んでもバレない、個室の子供部屋はオモチャだらけ。なにもE.T.と出会わなくたって、すでにエリオットは夢の国に暮らす幸せな少年で、将来は立派なボンクラになるように見えた。だから当時は羨ましくて、腹立ったよな。

今回の「SUPER 8」では、ずいぶんと好条件で楽々と映画を撮っているあの連中が羨ましい。普通はキモオタが作ってるゾンビ映画なんかには、どんなブサイクな女の子だって出てくれねえんですよ。それがなあ、まさかのエル・ファニングちゃんが出ちゃうんだもんなあ。しかし彼女は絶対、ゾンビ映画に出てることを女友達には隠してたと思うな。

この映画の少年少女は総じて好演で、特にエル・ファニングのヒロインとしてはそれほど美少女すぎない感じ、でもよく考えたら現実にはあんな美少女全然いないぜ感は映画的リアリティーがあって実によかった。列車事故直前のリハーサルなんか、その場にいるボンクラ野郎どもが全員彼女に恋してしまう、ちょっと驚くようないい場面だった。ジュブナイルのヒロインとしては完璧に近い。そしてそれゆえに、あんな冴えねえ鉄オタに簡単に惚れやしねえだろうと思ってしまうのだ。ああ、オレはおっさんになってすっかり汚れてしまった。ガキの頃なら「同じく冴えないボクチャンも、いつかエルファニングちゃんみたいな美少女と出会っちゃったりなんかして」とか思って胸をときめかし鼻息を荒くしていたかもしれないのだ。現代を生きる少年が「SUPER 8」でドキドキしてくれてたら、それは素敵なことだと思います。ちなみにオレが実際にガキの頃に観た「E.T.」では、E.T.がビール飲んだせいでなぜか酔っ払ったエリオット少年がクラスの微妙な顔の女の子に狼藉に及び、先生に捕まって連行されていた。宇宙人とはマブダチになれるくせに、女の子とはまともな会話もできずに狼藉行為… スピルバーグさんさすがや! 信頼できるモノホンの童貞や…! エイブラムスなんて所詮リア充、ナンパなチャラ坊ですわ!

個々の要素は悪くないどころかけっこう高級な映画の匂いさえするのだが、列車事故以降は何もかもバラけてメタメタになっていく。なにしろ連中、宇宙人の存在を知るのが映画の終盤という平和ボケっぷり。列車事故の夜に肉眼で目撃DQNしなきゃダメだろ常識的に考えて… 結果、タイトルにもなっているスーパー8のフィルムはたいして重要ではなく拍子抜けだ。何より宇宙人がダメだ。宇宙人が出てくるのがダメなのではなく、宇宙人を少年の成長だの恋愛だのの小道具程度にしか考えていない映画の姿勢がダメだ。このへんのことは「クローバーフィールド」のコメントでさんざん書いたので、面倒かけて申し訳ないですがそっちも読んでいただきたい。だいたい宇宙人と遭遇してるのになぜこいつらはカメラを、スーパー8を回さんのだ。宇宙人も宇宙人だ、ザコは景気よくバンバン殺すくせに、鉄オタ相手になった途端に接待麻雀、無気力相撲。こんな犬の小便を観客に飲めって言うのかよ… そういえば鉄オタの飼い犬は帰ってこなかったな… エイブラムスは犬なんかどうでもいいんだろうな…

映画はどんどん雑になってゆく。最後の宇宙船を見送る場面でなんであんな感動っぽい音楽が鳴ってるのか、オレには理解できなかった。ちゃんと丁寧な描写を積み上げていけば、感動的な名場面になるはずだったであろうクライマックス。これは明白に失敗だ。だいたいお前オカンの死とかそんなたいして気にしてなかったやん。ペンダント離す離さないとか、もうこれ見よがしで鬱陶しいんだ。曲がりなりにも宇宙人さまのお見送りをしてるんだから、ペンダントとか忘れとけよ… 身の程わきまえろよ…

勢い余ってオレはエンディングも気に入らなかった。この連中、あれだけの体験を経ておいて、なに当初の予定通りに普通にゾンビ映画作ってんだ? すぐ路線変更して宇宙人映画作れよ! 宇宙人なめてんのか、殺すぞ!