「キック・アス」を観た

今更ですがDVDで「キック・アス」を観ましたよ。大評判をとった映画ですが、諸手をあげて大喜びとはとてもいかない問題作でしたよ。

がんばれレッド・ミスト (★3)


「現実にヒーローはいないが、悪は現実に存在する」


この映画、大枠は夢で現実に挑むというオレ好みの展開だ。残酷描写には「現実は夢のようにはいかない。それでもやるんだ」という意味があるから悪趣味にはなっていない。ただ観ていて引っかかる部分が多すぎてあんまり楽しめず、残念だった。


皆さん絶賛するヒットガールだが、オレには全然魅力的に見えなかった。彼女は父に洗脳された、意志のない人形だ。キャラクターではなくアイコンであり、魅力があるとすればそれはアイコンとしてのものだ。彼女の人間としての意志の目覚めは最後まで描かれず、なんだかうやむやに終わるのはオレには大いに不満だった。


現実というやつは底しれず、まったくもって度し難い。オレがそれを実感したのは、暴力描写でも拷問シーンでもない。主人公が、憧れの彼女に自分はゲイではない&キック・アスであるというカミングアウトをしてからの展開だ。彼女といい感じになった主人公は、喫茶店トークを抜けだして路地裏で駅弁ファックをキメる(堕落だ)。彼女は主人公を心配し、ヒーローをやめてくれと頼む(興ざめだ)。主人公は愛する人のために引退を決意する(最悪だ)。


何の能力も根拠も保証もなくただ「ヒーローになろう」という尊い意志を描いた映画において、この女は主人公を堕落させる楽園の蛇だ。「あなたが心配なの。もうヒーローはやめて」 これって、志を捨ててバカな女の身の丈に合う程度に凡庸になってくれってことだ。暴力よりも恐ろしい悪とは、吐き気を催す本当の悪とは、意志を挫くこのような誘惑である。それは多くの場合、愛だのラブだのといったキレイごとを装って我々をだまくらかしにやってくる。そして目の前にセックスをぶら下げられた童貞がこれに逆らえないのも、やりきれないがよく判るのだ。映画冒頭のようにちょっと冷静になってネット画像で一発抜けば、あんな女の誘惑に惑わされることもなかっただろうに。


現実は容赦なく徹頭徹尾、クソでできている。これは一応映画だからなんとか持ちなおしてクライマックスへ繋げていくんだが、現実にはあそこで引退して話は終わりですよ。我々はこんなクソまみれの現実に抵抗し続け、泥水すすって闘い続けなければならないのだ。かなりよくできてる映画だったが、それでもオレは暗澹たる気分になった。映画のラスト、唯一のかすかな希望は悪を貫き通す覚悟を決めたレッド・ミストとして逆説的に描かれる。ここには明確な人間の意志の誕生があるからだ。がんばれレッド・ミスト。