- 作者: アイザック・アシモフ,福島正実
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1979/03
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- 作者: アイザック・アシモフ,冬川亘
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アシモフのロボットものは素晴らしく面白い読み物で、若い頃からこれを繰り返し読みふけってきたオレは、いつからかある確信を抱くようになった。それは人類が皆、遊んで暮らす未来社会が到来するという空想図(ヴィジョン)だ。おお、なんと素晴らしいことであろう。
ロボットは、人類の労働の大半を肩代わりする。労働から解放された人類がどうなるかというと、これはもう遊んで暮らすのである。ある人々は、ロボットが肩代わりできぬある種の知的労働、学問や芸術に自由意志で従事する。ロボットものサーガでは、ロボットと生きる宇宙移民たちの宇宙人国家(スペーサーワールド)が描かれる。ソラリアなんか最高だ。読んでみてくださいよ。
「現実に人間の代わりに仕事をしてくれるロボットなど、現在の世界にはいない。子供じみた想像はやめろ」とおっしゃる方々もいるだろう。ズバリ言って、わたくしはそういう考え方はしない。いつか実現することは、実現したも同じと考える。SF読みは飛躍を怖がらない。
有史以来、人類は進歩し続けてきた。オレはこないだ台風の時に思ったんだ。こんな台風、江戸時代なら大変だったぜ。道はぬかるみ、あらゆる交通・流通・産業はストップ。屋根は吹き飛び、川は氾濫する。雨風を凌ぐだけでもたいへんなことだ。楽しいことなんか、なんにもできやしない。しかるに現代はどうか。社会的にはド底辺のわたくしが台風の中、ズブ濡れになりつつも曲がりなりにも家に帰れば明るい電灯の下でインターネッツ。コールオブデューティーでオンライン対戦。カップヌードル3分で食える。ありふれたつまらないことのようだが、実はこれこそが、長い長い時間の中でエテ公から少しずつ進歩してきた人類の輝かしい成果なんだ。こんなことを成し遂げた生命体は、銀河系のどこにもいない。誇るべきことなのだ。
しかしその一方で、進歩した割には人類自身は楽になってない。現代の日本なんか、みんな苦しい苦しい、ぜいぜい言うてどうにか生きてる。オレにはこの状況は、大きな変化の前に必ずあるシステムの軋みに思える。変化というのは、意識の変化である。
実際、もしロボットによる労働力があったところで、我々が生きるこの世界では皆が遊んで暮らすというふうにはなるまい。仕事を追われた機械工が産業ロボットをブチ壊すように、あらゆる反発や混乱があるだろう。テクノロジーによる便利さが、より多くの仕事を人々に課すという倒錯の中を我々は生きている。
何をするにも便利な世の中になったのに、仕事は全然楽にならない。テクノロジーの恩恵の上に乗っかって、より大きな成果を求め続けたからだ。後進国では、人は飢えて死ぬ。或いはAK47で撃たれて死ぬ。先進国では、過労で死ぬ。或いは自殺する。こんなのはおかしいんだ。どこかで間違ってる。テクノロジーが人類を楽にするという公式が実際に有効だったのが、ご家庭の専業主婦の場合だけというのは不自然だ。
人類に訪れる意識の変化とは、「働く必要がない」と知ることなのだろうと思う。来るべき未来社会で、人類はもうすこしだけ怠け者になると思う。たとえば生産の効率を上げ続けるよりも、緩やかにでも人口を減らすことを考えればいい。地球は今から広くなったりしない。
むかしむかしの大昔、農業という大発明が人類の生きかたを劇的に変えた。19世紀には、産業革命が人類の生きかたを塗り替えた。現在、情報流通の爆発が世界を変えつつある。我々は、法律よりも早く変化してゆく世界のルールについてゆくのに精一杯だ。そしていずれ来るだろう、避けられぬ大きな意識の変化が。起こってしまったら最後、もう以前のシステムには戻れない不可逆の進化が。
というようなことを、仕事で疲れて「あーもう働きたくなーい!遊んで暮らしたーい!」と思うたびにつらつら空想している。オレはもうダメかもしれん。しかし、あながち外れているとも思わないよ。ちょっと早く生まれすぎたな。