「イップ・マン 序章」と「イップ・マン 葉問」を観た

イップ・マン 序章 [DVD]

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イップ・マン 葉問 [DVD]

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遅ればせながら、「イップ・マン 序章」と「イップ・マン 葉問」を観ました。ブチ切れドニーさんが人格者イップ・マンを見事に演じており、文句のつけようのない高品質な映画でしたよ。以下、CinemaScapeに投稿した感想。ネタバレ有りなのでご注意を。

「イップ・マン 序章」

時代劇がほぼ壊滅状態にある日本映画の現況を思えば、これほど高い総合力でカンフー映画を作り続けている香港映画の基礎体力には脱帽せざるを得ない(★4)

ギラギラと強さを誇示する道場破りは颯爽として荒々しくカッコイイ。対するイップ・マンは、裕福な家庭と厚い人望を併せ持つ完成された端正な紳士として登場する。2人の対決場面、この対照が実に鮮やかで面白い。イップ・マンは、自分の勝ち負けよりも家具が壊されて奥さんの機嫌を損ねることが気になって仕方ない。奥さんは荒事を嫌いながらも、幼い坊やを通じて旦那に早く勝負をつけなさいと伝える。それまでどこか攻防を楽しんでいたイップ・マンは、一転して道場破りの技の「出」を潰す闘い方に変化する。激しい格闘場面の中で、対決する2人の力量差を正確に示し、複数の人間像を丁寧に、ユーモアを混じえて描いている。映画を知り尽くしたプロが作った、信用するに足る作品だとすぐに判る。

イップ・マンは完璧な武術家として描かれる。映画の主人公としては、あまり面白みのないキャラクターだ。この映画は次に、そんな完璧な武術家が時代の荒波に対してまるっきり無力であることを描く。日本軍の占領下、商才どころか生活力もろくにないイップ・マンはただの貧乏人、武術がいくら強くてもなんにもならない。ドラゴンという職業はこの世にないのである。

だからこそ、弟子はとらないと言っていた彼が工員たちに詠春拳を教える場面は静かで確かな喜びに満ちている。それは、彼が中国人としての誇りを回復してゆく過程として描かれているからだ。山賊に身を落とした道場破りを工場から退け、出奔していた少年に亡き兄の小箱を渡す場面は心に沁みる。生きる意味を再発見し、失いかけた誇りを取り戻したイップ・マンが語る説教だからこそ沁みるのだ。

この映画、当たり前のように日本人は極悪非道だしイップ・マンはスーパー正しく超強い。それは娯楽映画として当たり前のことだ。詠春拳はカッコイイ。しかし、それだけでは終わらぬ陰影の豊かさを持った映画でもあることも明らかだ。移ろう時代の中でイップ・マンが生きた心の遍歴、そこにある普遍性が、結局は我々の胸を打つ。

「イップ・マン 葉問」

失われゆく魂、その激動の歴史(★4)

成功した前作と同じ布陣に加え、アクション監督サモ・ハン・キンポーが満を持しての登板となれば、これは面白いに決まっている。

物語は黒澤明の「續姿三四郎」に近い。前回は空手という日本の武術が相手、闘いは当然何でもありのノールール。今回の敵は武術とは異なる格闘競技、拳闘である。ラストの試合開始前、リング上での振る舞い方を知らぬイップ・マンに観客の西洋人が失笑する場面が印象的だった。方形のリング、ラウンド制、勝手なルール変更。終始、西洋人の決めた様式の中で行われる異種格闘技戦。これはこれで、純粋なる果し合いとは違った文明的な興奮がある。新聞やラジオといったマスメディアが登場し、「この闘いをどう見るか」という様々なアングルが大衆に示される。

オレは重症のプヲタであり格闘技ファンなので、このように純粋な武術家が「文明の中の大衆娯楽としての格闘技」のリングに上がる/上げさせられるというモチーフに激しく興奮するものである。それはあたかも密林の王キング・コングをニューヨークに連れてきて見世物にするような、チョコレートをエサにしてハリマオを矢吹丈にぶつけるみたいな、オイオイこんなこと許されるのか? といった強烈な「バチあたり」感覚に痺れちゃうからである。真っ白なキャンバスを汚してしまうような、背徳的な興奮がある。ガチの世界からショウビズにやってきた木村政彦やウィリアム・ルスカの没落… こんな贅沢な見物はないぜヒャッハー! と、まあ現代文明の腐りきったゲスな観客像の一例としてのわたくしであります。どうぞケーベツしてください。

サモハンとイップ・マンの邂逅、対立の果てに生まれる奇妙な共感は最高に美しいだけでなく、どこかノスタルジックな気分にさせられる。この死ぬほどステキな関係は、劇中では消えさってゆく純粋な男達の失われてゆく美徳として、哀惜をもって描かれている。つまり

イップ・マンとサモハン

サモハンとボクサー

イップ・マンとボクサー

この3つの対立をもって、この映画は近代から現代へかけて失われゆく魂、その激動の歴史を描いているのである。

映画のラスト、まだ少年の李小龍がイップ・マンを訪ねてくる。サービスとしても嬉しいワンシーンだが、ここで物語は完全に我々の生きる現代へと接続されるのだ。ブルース・リーは映画という現代メディアによって世界を本当に変革してしまった、現代史における最大の武術家であり革命家である。だからあの場面は単なるサービス以上にオレには嬉しかったし、近代から現代を生きたイップ・マン一代記の締めくくりとして相応しいと思ったよ。