東京ディズニーリゾートのアニメCM

最近JRの電車内のモニターで見た、TDR(東京ディズニーリゾート)のCMを御紹介。


2012年CM  東京ディズニーリゾート  アニメ編

このCM、オレは実に気持ち悪いと感じた。胸の奥から確信めいた嫌悪が溢れ出てきた。「敵」のひとつが目の前に現れたような気がした。これがクソであることに疑問の余地はないと瞬間的に判断できたが、その理由はよくよく考えてみるまではっきり判らなかった。だがその理由を書く前に、公平を期して自分のディズニー観を書いておくべきだろう。

そもそもオレは、ディズニーアニメをあまり好きではない。例外は「ファンタジア」だが、これとて大好きというほどではない。ディズニーランドには行ったことがあるが、小学校の修学旅行だった。特に楽しかった記憶もない。そもそもガキの頃から遊園地そのものがどうにも子供騙しで好きではなかったのだが、ディズニーランドは特にズバ抜けて嘘くさいと感じた。以来、ディズニーランドに行きたいと思ったことは一度もない。ディズニーランドを好きか嫌いかと問われれば、はっきり嫌いである。

当然このCMは明らかに大多数の、すでにTDRを好きな人々に向けて作られている。オレのような輩が何を感じようと、TDRは困りゃしない。TDRとファンが結ぶ相思相愛の関係に限れば、このCMはCMとして充分に有効なのだろうと思う。

オレは何よりも、この女性のキャラクターと彼女を扱うCMの手つきが好きになれなかった。

ヨチヨチ歩く幼女は物心もつく前か、TDRよりポップコーンに喜んでいる。ここには文句ない。

少し大きくなった少女が、シンデレラらしきお姫様に飛びつく場面がある。あのー、ぼかー全然判らないんだけど、あれくらいの女の子ってシンデレラに飛びつくもんなんですかね。普通はネズミとかイヌとかの着ぐるみに飛びつくんじゃないだろうか。いや、オレだっていい年こいた大人だから、日本のスタジオが制作したであろうアニメーションの中でミッキーマウスやドナルドダックが絶対に「描かれてはならない」という制約、ビジネスの事情くらいは察しがつきます。だからこそのシンデレラ(のように見える女)なのだろう。そしてその結果、この女の子には「シンデレラ、或いはお姫様に憧れている」という性格づけがなされたことになる。思えばこの時点で、オレは少しばかりノドのあたりにイガラっぽいものを感じていた。

制服の女子高生に成長した女の子は、同性の友達2人と遊びに来ている。彼女たちはミッキーマウスの耳をつけている。耳はグッズだから描いてもセーフなのか。このへんのセーフとアウトのせめぎあい、偉そうなおっさんたちが会議室で議論した結果かと思うとくだらないよな。さて彼女は背中で男性とぶつかり、振り向き、顔を輝かせる。男の顔は徹底して見せないが、まー二枚目なんでしょうな。出会った男女はなんとかマウンテンみたいな乗り物で急滑降。

この女、友達と来たのに出会ったばかりの二枚目兄ちゃんとデートしとるわけです。友達はどうしたかと思ったら、よく見ると後ろの座席に座ってる。どんな気分なんだろうなあ。ところで、男は1人で来ていたのだろうか。TDRに1人で来る男… どんな男が、どんな心持ちで1人TDRなんだろうか、オレにはよく判らない。そのままカメラのシャッターで日数経過、男女は飽きもせずなんとかマウンテンに乗っている。さらにはシンデレラ城の前で結婚式。

このCMはTDRをはっきりと異性つまりセックスの相手と出会える場所、もしかしたら生涯の伴侶と出会える場所として描いている。実際にそうだとはオレは思わないが、TDRが日本有数のデートスポットのひとつであることも周知の事実だ。ただ、TDRが公式のCMで斯様なイメージを提示することに、気の小さいわたくしは居心地の悪さを覚えるのだ。それってまるで、キリスト降誕の記念日前夜を「異性とセックスする日」に変換して再定義した、日本の土人に特有の風習みたいじゃないか。画面上で描かれるイメージがきれいなだけに、この生臭さにはギョッとさせられる。いや、オレだって判ってるんだ。そう感じるオレこそが、生臭いフケツなおっさんなんだ。TDRで運命の出会い、TDRで夢のウエディング。完全無欠の極上ステキ恋愛ですよ。よーく判っておりますよ。ペッ。

赤ん坊抱えてパレード見て、婆さんになってもパレード見て。あんたどんだけTDR好きなんやと呆れつつも、この描写はいくらなんでもやり方が汚いと思うのだ。東京ディズニーランドが開園したのは1983年。その歴史は30年だ。つまり、幼女の頃からディズニーランド漬けで育ったこんな婆さんは実在しようがないのである。お前のようなババアがいるか! ケンシロウも言ってたぜ。

ババアが実在するか、しないかの問題ではない。TDRが見せたかったこのような描写は、本当に100年くらいの歴史を持つ老舗がやってこそ、感銘を受ける類のものではないだろうか。コンクリと電気仕掛けの広大な集金施設を夢の国でございと言い張ったばかりか、CMを見る視聴者の感銘までをも捏造したのだ。TDRの正体見たりである。

なぜオレはこのCMに嫌悪を感じたのか、それはそもそもなぜオレが東京ディズニーランドを嫌いになったのか、その理由がこの30秒に詰まっているからだった。世界は虚実でできているのに、ディズニーランドには虚しかない。そのことを客だって知っているのだ。知っていて、あえて騙されにゆく場所なのである。そんな客の上に乗っかって、さらにカマした空っぽのウソがこのCMだ。そりゃあ、ちょっとくらいイライラしますよ。仕方ない。

  • 追記

読み返してみると最後の段落がどう見ても言葉足らずなので、みっともないけど追記を。
「ディズニーランドは夢の国! ミッキーマウスは世界に1人!」なんてのは言うまでもなく真っ赤な嘘なんだけど、客はあえて子供心・童心に戻ったフリを装うことでその嘘を呑んでる訳だ。子供に戻って遊ぶわけだ。ところがこのCMでそんな観客にTDRがかける言葉が「お客さん、セックスできますよ!」なんだよな。TDRは自分の吐いた嘘を土台にして二階に上がり、今度は全然違う方向に向かって違う嘘を吐いておるのだ。これは台無しだろう、常識的に考えて… 観客は怒って当然だと思うし、このCMの構造的な矛盾に気づかずステキやんとか思っちゃう人は、もしかしてバカなんじゃないかと思うのだ。いや、こんなこと言ったって世間的常識に照らせばどうせオレの方がバカなんだろ。もうそれでいいよ。セックスできなくてもいいよ…