柳澤健「1985年のクラッシュ・ギャルズ」を読んだ

去年出たのにまだ読んでなかった、柳澤健「1985年のクラッシュ・ギャルズ」をようやく読んだ。

本当は同著者の最新作「日本レスリングの物語」が読みたかったのだけど、せっかく「1976年のアントニオ猪木」「1993年の女子プロレス」と著者の発表順に読んできたので、最新作に手を出す前に一応ちゃんと読んどこうか、という程度の気分だった。インタビュー集である「1993年の女子プロレス」と内容的に結構カブってるんだろうな、という思い込みもあった。

ところが、ぶん殴られたような衝撃を受けた。おい、コレこの著者の最高傑作ではないか。いや、肝心の最新作をまだ読んでないわたくしがそんなこと言うちゃ勿論アレなんですが、今まで読んだ二作(「1976年のアントニオ猪木」「1993年の女子プロレス」)よりも自分にとって遥かに面白く、なおかつ以前の二作がなぜああいう書き方だったのか、その理由も遅まきながらなんとなく察しがついた気がしたのだ。

「1985年のクラッシュ・ギャルズ」には、3つの物語が描かれている。長与千種の物語。ライオネス飛鳥の物語。そして1985年に中学3年生でクラッシュ・ギャルズを目撃し、その虜となった一人の少女の物語。この3つの物語がうねるように絡みあいながら、移ろいゆく時代の中で二十数年間に及ぶ大河ドラマを紡いでゆく。その筆致が完全に文学なのである。

波瀾万丈のドラマを描く著者の文章は過去にないほど熱っぽく劇的で、オレにはまるで「クラッシュ・ギャルズのプロレス」が著者に乗り移り、紙の上で文字によるクラッシュのプロレスが展開されているように感じられた。しかし同時に、ノンフィクションの冷徹さも失われていない。長与的情動過多の世界が、冷徹に考えぬかれた構成の上に展開されているのだ。これはもうクソ面白くて、読み始めたら止められない。だから、一気に最後まで読みきるしかなかった。

著者の単行本デビュー作「1976年のアントニオ猪木」は実に面白かったものの、オレ個人としてはちょっと不満があった。感想は
「1976年のアントニオ猪木」 - 挑戦者ストロング に書いた通り。オレが読みたかったのは著者自身の記憶、時代との関わりだったのだが、そんなものは書かれていなかった。どうでもいいけど、この感想がもう5年前なんだな。自分のかわりばえのなさにちょっとビビるわ。

第二作「1993年の女子プロレス」はインタビュー集だ。その内容は無類に面白いのだが、だいたいはkamiproでの連載をすでに読んでいたので、知ってる知ってる、おもしろいおもしろい、とまあそのような感想だった。

にぶいあんちくしょうであるところのわたくしも、さすがに前二作のどちらともまったくスタイルの異なる「1985年のクラッシュ・ギャルズ」を読むに至り、ようやくこの著者の意図めいたものがなんぼか理解できたような気がした。この著者は題材によって最も効果的なスタイルを選択し、書き方をわざと変えてきとるわけです。「1976年のアントニオ猪木」は謎解きミステリの如きノンフィクションであるから、語り口は客観的であらねばならぬ。作品の意図からして、個人的な思い出話は邪魔になるから当然書かない。「1993年の女子プロレス」は女子プロレスラーの喋りが滅法面白いんだから、それをそのまま生かしてインタビュー集として編んだのだろう。そして「1985年のクラッシュ・ギャルズ」においては、クラッシュの歩みと時代の熱を伝えるために、上記の如き構成をとったわけだ。そして三作の中で最もオレ好みのファイトスタイルだったのが、この本だったのだ。

5年前にオレが「1976年のアントニオ猪木」について書いた「八百屋に行って魚がないと文句つける」式の偉そうな感想は、的外れもいいところだったのだ。いや、あれはあれで当時の正直な感想ではあったのだけど、マー批評というには的がちょっと… いやかなり外れてますな… ああ… ウン。まーわたくしも遅ればせながら、なるほどプロの書き手っていうのはこういうものなんだな、えらいもんや、おみそれしました、と今さら言うのも恥ずかしい、いちばん当たり前の結論にようやく達したのであります。なんじゃつまらん。しかしつまらんのはこのエントリであって、「1985年のクラッシュ・ギャルズ」はメチャクチャ面白かったので日本国民は皆さん読むべきだと思いましたよ。

追記

このエントリの100倍すぐれた、この本を今すぐ読みたくなるレビューがあったのでリンクしておきます。
エキレビ! - 光り輝くその一瞬! クラッシュ・ギャルズの時代(杉江松恋)

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫) 1993年の女子プロレス 日本レスリングの物語