「おおかみこどもの雨と雪」からの敗走

先日の「おおかみこどもの雨と雪」感想(id:Dersu:20120723#p1)に書かれた、tokさんにコメント第一段落に対する返答です。長くなったので新記事で。

tokさんのコメント(冒頭のみ)

「異形の子供たちを現実の中で育てるからこそ生じるたぐいの苦労の描写がない」とか、
本来xxな描写がないのは不自然という意見があるけど、
それがあると面白くなるの?って思ってしまうんだよな。
面白くなるならいいんだけど、主題と合わないことまできっちりと描くのは、グダグダになりやすいし、
本来伝えられたいことが霞んじゃいませんか?

お返事

確かに「◯◯な描写がないと不自然」という感想は、それがあれば面白くなると保証するものではありません。それさえもない映画をわたくしは真剣に観る気がしない、ということです。これは、面白い面白くない以前の問題です。

この映画で細田守のやりたかったことは、なんとなく判っているつもりです。それをオリジナルの劇場アニメでやることは確かに冒険で、それなりの実績と志がないと挑戦できないことだとも思っています。しかし、その挑戦が成功しているとはとても思えませんでした。このエントリは、その理由を書いたものでした。

狼男というモチーフは、一種の劇薬です。一定のリアリティを保った映画の中で取り扱うには、たいへんな注意が必要な難物です。この映画は劇薬の取り扱いが極めてぞんざいで、作り手がその存在を真剣に考えぬいたとはとても思えぬいい加減さでした。その先で映画が描こうとしている親子賛歌、ひいては生命賛歌がどれほど素晴らしいメッセージであるとしても、わたくしはまともに受け取る気にはなれません。「主題と関係ない細部は描かない」という作り手の選択の、これが結果です。

性懲りもなくあくどいことを書きますと、この映画は「話のおかしな所には目をつぶれ、あとは情緒で押しきるから感動しろ」と言っているに等しいと思います。それが悪いとは言いません、実際支持されているし、感動している人もたくさんいて、その感動をウソだとは思いません。しかし、わたくしの好みではありません。もちょっと、クソ真面目に観て腹の底から得心できるものが観たかったのです。

思うに観客としてのわたくしは、作り手が確信を持って隅々まで考えぬいた映画(例えば「河童のクゥと夏休み」のような)に対しては鑑賞中に盤石の信頼を覚え、作品の掌の上で感情を解放するのも吝かではなくなるのですが、「おおかみこども」の如きいいかげんな作劇を見せられては信頼どころか心配になり、とてもオチオチ感動してる場合ではなかった、というのが正直なところです。めんどくせえ客なのです。どうかご勘弁を。

ついでに、こないだTwitterに書いた「おおかみこども」妄想。

まー勿論冗談半分、普通はこう解釈されないことも判ってるんだけど、作り手がこういう物語の可能性、或いはこう見られる可能性までもを視野に入れた上で映画を作っていたのかといえば、甚だ怪しいと思うのですね。思えばオレは「時をかける少女」が気に入ったあまり細田守に期待を寄せすぎており、だから近二作の失望が非常に大きかったのだと思う。まーそんなところで。