記号と効率の極み 「サニー 永遠の仲間たち」

公開時にちょっと騒ぎになるほど評判のよかった「サニー 永遠の仲間たち」を観た。確かに評判がよくて当然の、よくできた映画だった。だが不満はある、小さくない不満が。以下の感想にはたいしたネタバレはないが、未見の人は読んでも意味が判らぬだろうな。

サニー 永遠の仲間たち デラックス・エディション Blu-ray

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ノーストレスで泣き笑いへの最短距離を競う競技じゃねえんだぜ (★3)
きちんとベタをやる技巧は圧倒的で、観やすく楽しく暖かい映画なのは間違いない。観ててオレも楽しかった。ちょっとジーンともきた。しかしこの映画はあまりにも記号的、あまりにも機能的、あまりにも効率的すぎて辟易したのも事実だ。

主人公の主婦が余命2ヶ月の旧友と出会った途端、旦那は出張に出かけて2ヶ月帰らないことになる。実に都合のいい話だ。効率的だ。しかしここでオレが連想したのは、世にあふれる凡百のエロゲーによくあるシチュエーションだった。煩わしい両親は仕事で海外に行ってて、一軒家でひとり暮らししているイケメン高校生。学校には美少女がゴロゴロしてて、向こうから勝手に惚れてくる。家ではセックスし放題。観てるオレもヌキ放題。機能と効率を優先するとそうなるのも尤もなんだけど、そんなエロゲーのことはすぐに忘れてしまうよな。

主人公が旧友を探す過程で出てくる問題の大半は、旦那が置いてったマネーで解決される。解決できない問題は、友人の遺言と遺産で解決される。結果、主人公は何ら犠牲を払うことがない。これは映画が最短距離を走ろうとしたゆえの弊害だ。

娘をカツアゲした不良少女たちを不良オバハンたちがシメる、という愉快な場面がある。興奮さめやらぬオバハンたちは連行される車の中で、ラジオから流れる「サニー」にあわせて踊る。ここはちょっと魔法じみた素晴らしい場面だったけど、警察沙汰になったことはオバハンたちの生活に一切影響しない。拘束もされず、起訴もされない。旦那にもバレず、娘にもバレない。お前らアレか、サツカンに賄賂渡して即釈放か。即釈か。おい、全然犠牲を払わなくていいのなら、オレだって殴りたいやつの1人や2人はいるんだぜ。

過去と現在の両方を描きたいのに尺を延ばすわけにもいかず、作り手は必死で語り口の効率化を図っている。そのうえで、登場人物にも観客にも負荷をかけないことに細心の注意を払ったのだ。作り手の意図は、完璧に成功している。ただその意図の根っこの志が、やっぱりオレにはどうにも引っかかるんだ。あとスジちゃんかわいい。