驚嘆に値する「ホビット 思いがけない冒険」の脚色

ホビットの冒険〈上〉 (岩波少年文庫)

ホビットの冒険〈上〉 (岩波少年文庫)

ホビット 思いがけない冒険」を2D字幕版で観てきましたよ。原作はあんまり好きじゃないのでテンション低めだったのですが、思いがけない良作でした。

まずはひとつ朗報を。日本ヘラルドが配給した映画「指輪物語」三部作でひどい字幕をアテて物議をかもしたウンコおばちゃん戸田奈津子は無関係です! 今回の配給はワーナー、字幕はアンゼたかしという人で、瀬田訳に基づいた監修つきです。違和感ある字幕はありませんでしたので、皆さまご安心を。

では「ホビット 思いがけない冒険」の感想。若干のネタバレあります。

何をどうすれば物語が「映画」になるのか、そのお手本を見た気がする (★4)
わたくし、原作の「ホビットの冒険」を実はあんまり好きではないのです。面白くて楽しい児童文学ではあるんだけど、その冒険はどうも行き当たりばったりでとりとめがなく、底抜けに明るくもない一方でいまひとつ真剣味に欠ける。読みこめば奥はあるんだろうけど、後の「指輪物語」にある切実さや文学性は感じられないお話で、これはトールキン先生かなりリラックスなさってお書きになりましたねと思ったものだ。だから今回の映画化にも、どうもテンションが上がらなかった。「指輪物語」映像化の困難さとはまったく別の部分で、このお話がいい映画になるようなイメージが持てなかったのだ。それでまー一応観てみたんですけど、いやーホント楽しかった。面白かった。

いまいち散漫なお話の、何をどうすれば「映画」になるのか、そのお手本を見た気がする。脚本における枝葉の整理と感情的な力点の定め方は実にお見事で、まったく飽きることがなかった。あとで知ったんだけど、この映画170分もあるんだな。全然、気にならなかったよ。

三部作の開幕たる今回は、ビルボ・バギンズがどういう人間なのか、人間じゃねえやどういうホビットなのかを描いている。あと2本クソ長い映画を観てみよう、このビルボというおっさんにつきあってみようと思える地点にまで観客を連れていったところで映画は終わる。これは絶対に必要なことだったと思う。

ビルボ像の掘り下げは細かい。冒険を嫌い平穏を愛するホビットらしさと、勇猛果敢なトゥック家の血筋、相反する性格が提示される。冒険に巻き込まれることを断固拒否していた小市民ビルボが、翌朝には契約書をひっ掴んでホビット庄を飛び出し冒険に身を投じる。一見不可解にも思える彼の行動だが、臆病と勇敢、知恵と人情が同居している複雑な人間像が、だんだん魅力的に見えてくるから面白い。

トロールとの時間稼ぎコントも楽しかったが、白眉はゴクリとのなぞなぞ合戦だろう。原作のこの部分が、映画でこれほど面白くなるとはとても予想できなかった。アンディ・サーキスが演じてCGで描かれたゴクリの芝居は驚異的で、地の底に張り詰める緊張感と、どこか滑稽な可笑しみに目が釘付けになる。指輪で姿を隠したビルボが絶望するゴクリを殺すか逡巡する場面なんか、本当に素晴らしい。ここでゴクリを殺さなかったビルボの情は、故郷をなくした仲間に寄せる共感に着地する。力なき臆病な小人が、金無垢の心を持っていたことを理解して我々は感動する。ここんところ、原作は全然違いますよ。そりゃーもう淡々と冒険が進んでいくからね。原作のガンダルフなんかビルボを引きずり回してけっこう理不尽な爺さんなんだけど、この映画では裂け谷でガラドリエルの奥方になぜビルボを選んだか説明する場面が加えられている。これもいい補助線となって、ビルボの言動の意味を強化してくれている。奇をてらわず、考えぬいて工夫された見事な脚色だと思う。

この映画は精緻な特撮やCG、目を惹く様々な怪物たち(岩の巨人とか最高)、すぐれた美術や演技などの目に見える部分も充分すぎるほど素晴らしいんだけど、最もすぐれているのは脚本だと思った。原作をいいかげんに読んだうえにあんまり気に入ってなかった自分にとっては、映画として新たな命を得た『ホビット』の輝きは驚嘆に値する。逆に原作原理主義者の方々にとってはちょっと情緒的すぎる映画なのかもしれないし、そんな御意見も読んでみたいとは思うものの、まーなにしろ自分はあと2年、楽しませていただきますよと思った次第です。