死ぬ死ぬみんな死ぬ「二百三高地」

生まれついての不信心で無神論野郎ながら、こないだ「人間革命」「続人間革命」のDVDをわざわざ信濃町の本屋で買いまして。これが両方なかなか面白くて、創価学会の映画だからって映画史の中で無視されてるのも勿体無いなあなんて思いました。で、その流れで舛田利雄丹波哲郎あおい輝彦仲代達矢らが続投した「二百三高地」を観てみました。

二百三高地 [DVD]

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この映画を観たことはなかったんだけど、ガキの頃にテレビでさんざんCMを観た記憶はある。さだまさしの「防人の詩」が海は死にますか山は死にますかと陰鬱に流れ、野っ原でバタバタ死んでゆく兵隊たち。こういう鬱な映画を避けてきたわたくしなれど、最近おっさんになって耐性がついてきたので観てみようと思った次第。3時間もある映画だけど、予告編を観たらこれでもう充分じゃねえかという気がしないでもない。


プライベート・ライアン」の10倍くらい人が死ぬ。70〜80年代、「人が死ぬ。たくさん死ぬ」が娯楽の王様だった時代が確かにあったと記憶する。(★3)
映画「二百三高地」には戦争肯定も戦争否定も両方あると感じたが、そんなイデオロギーの問題以前に強烈な印象を残す映画だと感じた。これこそは「人がたくさん死ぬ」さまを見せることで観客をある種の陶酔に導く娯楽… これを書いている2013年の感覚ではそんなゴラク如何なものかと思うけど、一方でこれこそ原初の娯楽のあり方、王道、見世物の本質なのかもしれぬと思う。

現実を生きる我々が恐れているのは何よりも死、破綻や崩壊、とりかえしのつかない悲劇だ。何もかもが「ワヤ」になる地獄絵図… 銀幕に大写しになったそれを眺める、安全な観客席から。この後ろ暗き愉悦、どんな高潔な倫理をもってしても否定しきれるものではあるまい。

70〜80年代の数多の戦争映画、「八甲田山」、「戦国自衛隊」。壮烈な死と壮大な滅びは我々の目を釘づけにする。カタストロフとカタルシスは同じコインの表裏なのだ。「影武者」では武田騎馬隊の全滅が陶酔感たっぷりに描かれた。黒澤明でさえ、時代の空気から自由ではいられなかったのだ。同時代のアニメーション大作映画では、ほとんど例外なくクライマックスに大カタストロフが描かれて観客の溜飲を下げたものだ。世にも恐ろしい連続殺人や猟奇犯罪、しかしそれを描いた書籍や映画には惹かれてしまうのも、類似の観客心理だと思われる。

どう言い訳したって、我々観客はゲスなのだ。オレなんか非常にゲスなのだ。「二百三高地」だってたいがいゲスなのだ、いくらさだまさしを流したって、エンディングで美しい祖国の山河を描いたって、各種イデオロギーを散りばめたって、この映画の目玉は「人がたくさん死ぬ」こと以外にはないのだから。それを史実の中で、我々のご先祖が実際に戦った戦争で描くんだから、もうねえ、ドキドキするほどゲスなんですよ、それを嬉々として眺めるわたくしを含めて。

かなり冗長な映画だが、上(天皇)から下(兵隊)までの群像劇としてはなかなかの見応え。弾薬不足で白兵戦を繰り返し部下を大量死させ、待ってましたとばかりに渾身の悲劇フェイスを炸裂させる乃木希典仲代達矢。乃木第三軍のテコ入れにやってくるや否や、圧倒的なカリスマを見せつけ司令部を掌握し要塞を落とす児玉源太郎丹波哲郎明治天皇役なのにいつも通りの三船敏郎。上層部を演じる大御所たちも眼福ながら、特筆すべきはこの時代、大人や社会に翻弄され、悩みながら成長してゆく傷だらけの若者像を一身に背負っていたあおい輝彦の存在だ。登場時にはロシア文学を愛する温厚な青年だったのに、数多の死線をくぐり抜けてロシアを憎悪する軍人に変貌、最後にはロスケとタイマン。ロスケの繰りだすマウントからの噛みつき攻撃を耐えしのぎ、起死回生の目ン玉くりぬきから必殺のヘッドロックで絶命させる。ジャニーズ出身のチャラ坊が、アイドル性をかなぐり捨てて「あしたのジョー」や「続人間革命」、「二百三高地」などでなした仕事は再評価されていい。軍神乃木大将相手にキメた一兵卒のシャウトは立派であった。