「かぐや姫の物語」を自分は大いに気に入ったものの、友人や世間の反応は案外そうでもなく、平均的には「いいんだけどそれほど好きでもない」といったところだろうか。あの水彩画・スケッチ的なビジュアルに関しても、ああいうアニメを作るのは大変なのかもしれんけど、それが特に嬉しいかといえばそうでもないという反応。まーデジタル技術を駆使してアナログ風ルックを獲得するというのは一種の酔狂で、マイケル・チミノが巨額の予算を投じてわざわざ貧乏臭い風景を完全再現した「天国の門」にも似た壮大なる愚挙なのかもしれない。高畑監督にとってはセルアニメのシステムは絵を動かすための妥協の方便だったのかもしれないが、こちとらガキの頃からのセルアニメ育ち。背景から浮き出した、クリアな描線でパキパキに塗り分けられた美麗なキャラクターこそがアニメにおけるゴージャスであると見做す文化的コードが脳髄に染みこんでいるのも事実である。
「かぐや姫の物語」が高級な懐石料理であってカツ丼ではないから人気がないのかとも思ったのだが、いやいや、そう単純な話でもなさそうだと今は感じている。以下、前回エントリ後の追加感想。ネタバレなので一応畳んでおきます。
特にラストあたり、土から離れては生きられないのよ的熱弁が始まりそうな瞬間に断ち切るあの意地悪さ。いじわる爺さんだ…
「かぐや姫の物語」の劇中には暴力シーンがひとつだけある。それを見れば、高畑勲の考証が現代MMAにまで及んでいることが判る。テイクダウンした相手に速いパス、ニーオンザベリーからマウント、パウンドという展開。トドメはサッカーボールキック。宮?駿なら絶対やらないリアリズム
ヒューマニズム、道徳的、教育的、人間愛、ジブリの爺ちゃんといったなんとなく暖かそうに見えるパブリック・イメージとは裏腹に、高畑勲はいつもセーム・シュルトの前蹴りの如く登場人物を冷たく突き放し続ける。肩入れも感情移入もしない。観察記録の如き冷徹な視線で、死にゆく節子を正確に描写できる。4歳児が飢餓で死ぬ場合、どれほど痩せてどれほど顔色が悪くなるかを、正確な考証に基いて再現し、それを観客の子供に平気で見せる人なのだ。庶民や労働者の共同体を理想主義的に描く一方で、愚民の蒙昧さに頭を抱えて絶望する孤高のインテリでもある。パブリック・イメージの裏側にあるこの冷たさを世の大衆はどこか無意識に感じていて、ゆえに高畑映画は大ヒットしないのではないだろうか。オレは、そういう人でないと作れない映画もあるだろうと思う。これほど延々考えぬいて映画を作る人は世界的にも珍しいと思うのだ(考えぬいた結果アサッテの方向に行くことも確かによくあるのだが)。そして「かぐや姫の物語」は、そんな彼の特性が最良の形で発揮された作品だ。好きな映画でも愛せる映画でも暖かい映画でもないが、凄い映画だったと思うよ。
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