「大魔神」「大魔神怒る」「大魔神逆襲」

わたくしが大好きな「大魔神」シリーズは1966年、たった1年間の間に3本がたて続けに公開された大映特撮映画だ。ピーター・ジャクソンの「指輪物語」は3本を1年おきに公開していたが、こちらは1年で3本。しかも最初から連作予定だったわけではなく、ウケたから次作を作り、ウケなくなったから終わったシリーズである。当時の日本人の仕事の早さは異常だと思う。

72年生まれのオレは幼い頃から「大魔神」という映画の存在を知っていたが、当時はなにしろビデオもレーザーディスクもなかったため観られなかった。しかしオレが小学生高学年のある夏の日に、地元高松で「大魔神フェスティバル」という素晴らしい名前のリバイバル上映がたった1日だけ行われたのだ。高松唯一のミニシアター系映画館ホールソレイユの地下にある「高松大映」(現ソレイユ2)は、当時成人映画専門の劇場だった。街中に平気でエロいポスターが貼られていたあの時代、普段エロい成人映画をやっている劇場で1日だけ大魔神の3本立て上映が敢行されたのである。本来なら子供の入場が許されない大人の映画館に小学生の身で突撃し、大魔神を一気に3本観るという背徳的行為。今でもはっきり覚えているが、オレは死ぬほど興奮していた。今思えば異常な集中力で、目を皿のようにして「大魔神」3本を観たものだ。極めて真に迫った特撮、見慣れた東宝特撮とはまた違うテイストの本編と特撮の自然な繋がり、4.5mという大魔神の大きさがもたらす実存的恐怖、悪党が荒神さまにブッ殺されて即終わる無常感、伊福部昭の音楽の圧倒的な力、そして怒りに満ちた大魔神の目。オレは打ちのめされた。

特撮時代劇「大魔神」が同時にある種の良質なファンタジーだと思うのは、仏教のないイフの世界を描いている点だ。現実の歴史上、大陸から伝わった仏教は壮大なスケールと世界観の緻密な作り込みで人々を魅了したハリウッド娯楽映画の如き最新トレンドだったわけだが、「大魔神」で描かれるのは仏教の存在しない太古の世界だ。「大魔神」においては荒神さまへの素朴な民間信仰、神を畏れぬ悪党への天罰、ひとたび暴れだしたら手がつけられぬ神の暴走が描かれる。自然災害と区別できぬ、人知を超えた何か大いなる力のことを昔の人は神と呼び畏れたのだろう。ここに仏教が出てくると、話がややこしくなるのである。

先日、海外版BDが安かったので思わず購入して観返した。四十郎のおっさんになった今観ての感想は、小学生当時の感想と驚くほど変わらない。やはり2作目の「大魔神怒る」の出来が明らかに落ちる。1作目「大魔神」と3作目「大魔神逆襲」は素晴らしい。特に子供たちの冒険を描いた「逆襲」は本当に素晴らしい。スティーブン・キングは「逆襲」をパクって「スタンド・バイ・ミー」を書いたんじゃないかとさえ思う。勿論これは冗談で、もし本当にパクっていたならもう少しマシな本になっていただろう(オレは「スタンド・バイ・ミー」を小説映画ともにあまり好きではない)。

「逆襲」で今回驚かされたのは、子供たちが旅する山々のロケーションの素晴らしさだ。ほんの50年前、この国にはこれほど厳しい自然、美しい景観、おそろしい奇観があったのだ。「指輪」のニュージーランドにも負けてなかったよ!


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