立てば芍薬 座らない


これは本当に便所の落書きみたいな個人的な独白なので、あんまり真に受けないでいただきたいと願います。

ボタンが嫌いだ。ボタンと言ってもいろいろあるが、オレが嫌いなのは穴に糸をグルグル通して辛うじて服にくっついているあれだ。オレは服飾、ファッション、オシャレといったものに生来疎く、今後もそれを学んだり着飾ったりする気は一切ない。しかし、服に糸でくっついており簡単に毟り取れる、穴の空いた円盤状のアレの存在は許しがたく、あんなものを身に着けているようでは人類はいつまでたっても土人のままなのではないかとすら思う。ボタンの「簡単に取れる」「とれたボタンは糸でくっつける」「それもわざわざ簡単に取れるようにくっつける」といった不便極まりない特性がオレを苛立たせる。そんなもん最初から不良品としか思えないのだ。斯様なクニクニとくっついてんだかくっついてないんだか判らないあやふやなものを身に付けるということに、まともな人間なら絶大なストレスを感じる筈なのである。だからオレは、ボタンのついた服は極力着ない。ボタンというのは西洋人の発明だと思うが、21世紀に至ってもこれほど不様なものを更新せず改善せず放置しているのは正気の沙汰とは思えぬ。ファッションのことは何も知らぬオレではあるが、それでもオレは醜いものが嫌いで、ボタンは実に醜いと思うのだ。

同様に、靴というものも極めて不完全な発明だと思っている。あんなもんは細菌の温床で健康に悪いし、歩きづらく使いにくいだけだ。オレは男なので履かないがハイヒールなんて言語道断、人間への侮辱としか思えぬ。世には足袋に草履に雪駄下駄、各種サンダルなどのすぐれた履物がたくさんあって、地面の状態によっては裸足だってたいへん快適なのに、我々が生きるこの土人社会では靴を履かねばならぬ局面が少なくない。職場とかな。まったく馬鹿馬鹿しいことである。靴を履いたほうが走りやすいというご意見もあるだろう。だったらそういう人は靴履いて汗かいて走っておればよろしい。オレはそもそも走りたくないのである。昔の日本人はほとんど走らなかったと聞く。また、死ぬほど走ってた飛脚だって履いていたのは草履だ。靴ひもなんてものには最高にイライラする。あんなもの結ぶなんて原始人のやることだ。だから、こういった発明は悪くないと思う。ちなみに、やはり履きにくいがゴム長は構わない。ゴム長には明確な目的と機能(テーマとプラン)があるから、あれは美しいのである。

さらに言えば、「ネクタイ」という存在理由すらさっぱり判らない意味不明の細長い布がある。あんなもん今日にでも絶滅すべきだと真剣に思う。考えてもごらんなさい、あした高度な文明を持つ宇宙人が飛んで来てさ、人類のオスの多くが首にぶら下げている布には何の意味があるのか問われてから顔真っ赤にして恥ずかしがっても遅いんだぜ土人ども。