空をこえて ラララ ララランド


アカデミー作品賞に輝いたかと思われた「ラ・ラ・ランド」が実は誤発表でした、と話題になった翌々日が久しぶりの休日で、その「ラ・ラ・ランド」を観てきましたよ。以下、CinemaScapeに投稿した感想。あのー自分でこういうことを言うのもアレなんだけど、CinemaScapeにおける直近のオレの採点は「ラ・ラ・ランド」が★3で、「劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-」が★4なんだよな。自分のことながらさすがにこれは、数字による映画の採点なんてアテにしてはいけないばかりかそもそもオレの映画の感想なんて真面目に読んじゃあダメですよと、このダイアリを読んでくださる奇特な諸兄に老婆心ながら忠告差し上げたいと思いました。

〇オカダ・カズチカ(46分45秒 レインメーカー→エビ固め)ケニー・オメガ● (★3)
愛嬌ある美女と愛嬌あるイケメンのホロ苦おとぎ話。ちゃんと役名があった筈だが、無声映画時代のようにエマ・ストーンは「女」、ライアン・ゴスリングは「男」でええやんけと思えた。この2人以外の登場人物は書割りにすぎず、だがそれを非難する気にもならないのは、ナーニそもそもこの映画は全てが書割りだからだ。作り手は確信を持ってそのようにこの映画を作り、それは成功したようにオレには思える。

バカみたいな感想でアレなんだけど、なんだかオレは2017.1.4東京ドームのオカダ・カズチカケニー・オメガを思い出すのだ。ハッキリ言って試合はそりゃもう凄まじいものであって、凄い以外の言葉がなかなか出てこない程なんだけど、ここに固有の人間に対する固有の感動はないのである。いやこれ本当はウソで、ちゃんとほじくればたぶん何かしら出てくるとは思うんだけど、怠惰すぎる観客の自分にとってはこれが「固有の人間に対する固有の感動」を訴える映画ではないということですでに充分だ。ただただスンゲー、スンゲーと口を開けて絢爛たるゴラクを眺めるのみ。誤解しないでいただきたいのは、映画は見世物であるゆえ、それでまったく問題はないのである。そりゃーもうようできた画面の奔流で、眼福の極みです。ただ世評で絶賛されているオープニングの高速道路、あれはそんなに凄いと思わなかったな。どこの団体だって、レスラー30人揃えてロイヤルランブルやったらたいがい面白くなりますからね。マジックアワーの丘で2人が踊る長回しの方が遥かに凄くて美しく、尊い場面だと思ったな。

女の方なんかそれなりにエピソードもあって、普通なら実在する固有のキャラクターに見えても不思議じゃないはずなんだけど、あのー、エマ・ストーンさんはお目々が非常にデカい女性でしょう。あれはすでに拡大鏡を備えつけてある顔面であって、表情が判りやすい、伝わりやすいという点で彼女は女優として小さくない優位性を持っているんだけど、この映画なんか彼女のせいか監督のせいか知らんけどもう顔面スッポンポン状態、思ってることが全部顔に出とるわけです。あー彼女は今、何を思ってるんだろうだなんて、一度も思わない。しかしたとえばシルヴェスター・スタローンなんて顔面歪んでますからね。常識的に考えれば表情に乏しい、ひどい役者ですよ。しかしオレは、あの顔面を見ながらスタローンは今何を思ってるんだろうと考え続けるわけです。それが判った時、彼の心に触れたように感じる。目の前に、固有の人間が存在していると信じられる。この映画のエマ・ストーンは全然違う。女優を夢見るああいう女性は現実にたくさんいるのに、彼女はなんだかちょっとアニメのキャラクターっぽいというか、実在する人物とは思えない。女優の道を諦めていったん実家に帰るあたりなんか、いいんじゃないの、オーディションに落ちるのが嫌、酷評されるのが嫌なら可能性に背を向けて尻尾巻いて実家に帰んなさいよ、女優なんてヤクザな稼業よりカタギになる方がいいかもしれないよと心の冷たいわたくしは思いましたね。つまり他人事として受けとったのである。うーん我ながらひどい。

ハリウッドミュージカルの復活という、多くの先人たちが失敗してきた難関を突破したこの映画は掛け値なしに凄いと思う。だけど一方で、こんだけハードルが上がったらますますミュージカルは作られなくなるんだろうなーとも思いました。あと、やっぱりJ・K・シモンズはいつビンタして椅子をブン投げてくるかと思って非常に緊張しましたね。