舐めてた「RWBY」が大傑作

「RWBY」は数年前から制作されているアメリカのwebアニメで、日本産アニメの影響を受けたアメリカのオタクが日本産アニメを真似して作った一種のまがい物… の、ようなものだろうと勝手に思い込んでいた。3DCGに貼りつけられたアニメ風の顔は奇妙な感じに見えたし、めまぐるしい動きの擬斗も不自然に思えたからだ。つまり、観てもいないのに軽んじていたのである。以下、とりとめもなく反省の弁。

今年の7月から「RWBY」の再編集版が東京MXTVで放送され、観てみると面白いので驚いた。さらにamazonで「RWBY Volume 1」から「3」までを観て、オレの認識は完全にひっくり返った。物語はまだまだ続くので傑作だとはまだ言いきれないが、ズバリ言ってほぼ間違いなく傑作になりそうな調子だ。こんなこと言いたくないのだが、この作品を観ずして舐めていた自分がつくづく愚かしく、本当に恥ずかしい。やはり観るしかないのである。

全長版を観て、テレビ版ではカットされていた部分が多かったのを知った。切られたのはアクションシーンの一部から、極めて重要なエピソードまるごとに至るまで様々だ。今テレビ版を観ている諸兄には伝えたい。部分的な面白さはテレビ版でも充分に楽しめるものの、結局は全長版観ないと話になりません。

「RWBY」は学園モノとして始まるが、ここに日本産アニメの影響はあまり感じられない。だいたい、我が国の深夜アニメなんてものは毎期毎期学園モノやってるせいで世界にも類を見ない歪な独自進化を遂げちゃっておるのだ。授業の場面が一切ない作品、教師が一切登場しない作品なんかザラにある。まるで煮詰まった伝統芸能の変化球で、一見さんにはちょっと厳しい世界かもしれぬ。

「RWBY」の登場人物の生理は完全にアメリカ人で、展開されるドラマもアメリカ式だ。つまり人間関係に余白を作らず、登場人物は遠慮なくぶつかりあう。好きか嫌いかハッキリさせろ、遊びか本気かハッキリさせろ的なアメリカ製ドラマの文法に完全に則っている。

ジョン・ヒューズが登場した80年代以降、アメリカの学園映画&ドラマは思想の実験場になったと思っている。スクールカーストの存在を告発し、隠蔽されてきた弱者のドラマを掬いあげ、異質な他者との共生を謳い、よりよい倫理を追求してきた。学園映画は激安若手俳優とロケに借りれる学校があれば撮れる。エキストラを灰色に塗れば撮れるロメロのゾンビ映画と同じく、金をかけずに思想を練りあげていったのだ。観てないけど数年前のドラマ「glee」なんか、倫理的に最先端でイケてたと聞いておりますよ。ちなみにぼかー「ナーズの復讐 集結!恐怖のオチコボレ軍団」とか「ナーズの復讐2 ナーズ・イン・パラダイス」なんか非常に好きですね。古いね。

英国のおばさんが書いた「ハリー・ポッター」は最初の一冊読んで映画を数本観ただけで、ゆえに「RWBY」と同じくナーメテーター物件なのかもしれないのを承知で言えば、学園映画としてはすげえ遅れててダサい。第一作なんて出来杉くんがいい点とってやったぜ! みたいな話でひどい。ただ、お子さんがはじめて観る学園モノとしては斯様なオールドスクールも需要と価値があるのかもしれぬ、とは思う。

とはいえ、今のところ「RWBY」にとりたてて高尚な思想があるわけではない。それでも上記の如き学園映画の文法で描かれる登場人物たちには、たいへんな愛着が湧くのだ。だから「Volume 3」の後半で彼らを襲う過酷な展開には本当に胸を痛めたし、ここから始まる新たなドラマを思っては興奮にうち震えている。

オレがワンピースやハンターハンターなど絶大な人気を誇るマンガを全然好きじゃないのは作品の世界がデタラメで、まったく信用ならんからに尽きる。「王立宇宙軍」とか観たことないんか、異世界やるならあれぐらい作らんとアカン。「RWBY」はまだまだチラ見せながら、描く世界の責任を取ろうとする姿勢を感じる。この世界がどうなっているのか、考えられているように思える。思えるうちは、どこまでもついていきます。

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