今更ですが「もののけ姫」雑感

もののけ姫 [Blu-ray]

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「もののけ姫」はこうして生まれた。 [DVD]

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もののけ姫」は1997年の劇場公開時に観てそのド迫力に陶酔しつつ、なんじゃこの難解で空中分解したお話はと驚き、大ヒットしたので更に驚いた。でもよー皆よく判ってなかっただろオレもだけど、と思っている。以後何度も観ているが、観るたびに面白く、新たな発見があり、今ではたいへんな傑作だと思っている。日本テレビ金曜ロードショーで先日放送されたものをまたまた観たので、20年来の感想を記しておこうと思う。コマ切れゆえ、映画の進行に沿った箇条書きで失礼。もうネタバレとか気にしなくていいよな。

  • ナウシカ冒頭の王蟲と同じ呼吸で石垣をブチ破って現れる祟り神。この映画は漫画版ナウシカを完結させた宮崎駿による映画版ナウシカの雪辱戦なので、似たキャラや似た場面が頻出するのだが、いちいちよりハードコアに仕立て直している。
  • 祟り神を止めるまでのアクションが最高に冴えてる。なにしろこの映画はアクションが冴えに冴えている。右腕をやられたアシタカが二射目を放つ直前の、祟り神=イノシシへぐんぐん近づく手書き作画のドリーショットが鳥肌ものの出来。この映画には3DCGの地面にテクスチャー貼ったドリーショットが数回出てくるが、そのどれよりも素晴らしい。
  • 宮崎駿の映画は絵コンテ作業の途中で追いかけるように作画を始めるので、作業的には順撮りに近い筈だ。ゆえに冒頭のアクションは、まだ疲弊してない元気なアニメーターによる渾身の作画を味わえるという寸法だ。そもそもケツを持つ作画監督安藤雅司高坂希太郎近藤喜文というドリームチーム。
  • 物見ヤグラや山の上から見下ろすエミシの村は露骨に「七人の侍」の引用だ。「もののけ姫」は1997年公開。宮崎駿は93年に御殿場で黒澤明と対談しているので、パイセンその節はチーッスというサインなのだろう。
  • このエミシの村、アシタカ以外にはオッサンと老人と少女しか見当たらない。若い男はアシタカひとり。さぞやモテモテなんだろうよ。
  • 小刀で髷を切るアシタカ。公開当時オレが連想したのは、炊事場の包丁で髷を切って大相撲を廃業した力道山だった。断髪が力士としての引退を意味するように、ここでエミシのアシタカヒコは一度死んだと見做される。アシタカは呪われ、髷を落とし、村を追われ、見送りもなし。これが儀式的な「死」だからである。
  • 3万5000年前の原始時代を描いたジーン・アウルの小説「大地の子エイラ」*1の一場面では、ネアンデルタール人の氏族における「死の呪い」が描かれている。重大な禁忌を犯した者は、族長と呪い師から「死」を宣告される。殺しはしない、宣告するだけだ。しかしその瞬間から、すでに彼(彼女)は死んだという扱いになり、見えない霊として認識される。氏族はその者の死を信じこみ、心から悲しみ、嘆く。現実には生きていても、氏族(それは世界のすべてだ)から「存在しないもの」と見做され、無視される者が独力で生き延びられる環境は、原始時代にはほとんど存在しない。「死の呪い」は事実上の死刑として機能する。
  • また、トールキンの「指輪物語」における「死者の道」も連想される。アラソルンの息子アラゴルンは死ぬ覚悟で冥界を通り抜ける。なにしろ「死ぬ目に遭う」のは英雄になるための必要条件だ。
  • それなのになんだなんだ。村を去ろうとするアシタカに、美少女ちゃんが禁を破って駆け寄って目はハートマーク、「お仕置きは受けます!」って美少女に何をスケベな台詞言わせとんねん、まったく呆れたエロジジイである。しかしまあ或いは、これって現代の観客に向けた宮崎駿のサービスなのかもしれぬ。死の呪いとかピンとこない平和ボケのボクチャンでも、村にただひとりのモテモテイケメンがキャッキャウフフのハーレムアニメ的世界から放逐されてつれーわー、オレつれーわー寝てねーわー、これならまんざら理解できなくもない。意識低くてお恥ずかしい。
  • 田舎侍の略奪に出っ喰わし、弓を引いたところ右腕の祟りパワー炸裂で圧勝してしまうアシタカ。観客は俺ツエー、さすがですお兄様! と喜んでもいいのだけれど、実際はアシタカが徐々に人でなくなってゆく過程、怪物化のはじまりであって、不穏極まりない暴力描写だ。侍のひとりがアシタカを見て「鬼だ」って言うでしょう。オレが連想したのは、死ぬ思いでデーモンと合体した不動明だった。悪魔のちから身につけた、正義のヒーローデビルマン(アニメ版)。もののけ姫も「やるなーオヌシ」とか言ってくれる(漫画版)。
  • 市で砂金を見せたアシタカを尾行する追い剥ぎたち。走って追跡を撒くので荒事にはならないのだが、無法の末世といった雰囲気がいい。当たり前に悪意の蔓延る世界を舞台にしている。
  • 雨の峠での、山犬らの襲撃。遠距離を狙う石火矢の一丁が、雨のためか不発に終わる描写に唸る。アッサリやってるけど、まーアニメ監督が10人いたら9人できない、見事な銃器描写だと思う。
  • 遠くを走る山犬らは実は陽動で、本命の美輪明宏が崖の上から奇襲して大暴れ。しかし女首領はすでにこれを予測しており冷静に撃退。短い戦闘シーンながら双方が手練の宿敵同士であることを十全に表現しており、見事な手際というほかない。
  • タタラ場。後に祟り神となりエミシの村を襲ったイノシシを、いかに退治したかの武勇伝を楽しげに語る男たち。聞くアシタカはどんどん深刻な顔になる。黒澤明キューブリックが得意とした対位法だ。宮崎駿はこれを音楽ではなく、男たちの野卑な笑い声や興が乗っての裸踊りを、アシタカの凄惨な内面と対比させる。ちょっと驚くほど高級なことをやっているのだ。実にうまい。
  • タタラ場の男たちはそれぞれに個性豊かだが不細工なオッサンばかりで、アシタカのようなイケメンは全然いない。島本須美もアシタカに「あらいい男」と言っていた。エミシの王子アシタカと底辺労働者では、育ちも違うから顔つきも違うのだ… と、言葉にすれば差別的だが宮崎駿は容赦なく絵で示す。これがリアリティあるんだ。
  • 白拍子、売られた女、癩病患者、たたら製鉄の従事者、天朝の狗。現代のエンターテインメント作品に登場させるには躊躇われがちなモチーフがこれでもかと投入されている。普通の時代劇なら主役を張る武士は、この映画では略奪しか能がないろくでもない連中だ。ある勢力の黒幕は天朝とされる。宮崎駿天皇FUCKと声高らかにシャウトしているのだ。さすが共産党や。いや共産党より気合入ってるかもしれん。ちなみに高畑勲が「かぐや姫の物語」で描いた天皇はセクハラアゴ野郎だ。お前ら何十億もかけてんのにマジでブレーキ壊れてんな… すげえわ…
  • とはいえ上の段落で書いたようなことは、97年に劇場で観た時には全然思い至らなかった。オレはもの知らぬ若者だった。今やもの知らぬ中年だ。「もののけ姫」は多くの深刻な現代的テーマをブチこんで、それらは解決不能の問題ばかりで、劇中では解決されず、現実でも解決されない。文句あんのかそういうもんだよオメーラそういう世界で生きるんだよと、勇気が出るような出ないような、苦いような渋いような基本的態度。なんだこれヘンテコな映画だなあ。「やろうとしていること」が他の一般的な娯楽映画と違いすぎてて、未だにびっくりするんだよな。
  • もののけ姫」は宮崎駿が勉強した教養を全ブッコミしたうえに持ち前の豊かな想像力を縦横にふるった超大作だ。現代を生きるスーファミ世代のわたくしが一見で理解できるわけがない。何度も観て理解を深めてこそ面白くなる類の映画だ。宮崎駿も教養をひけらかす照れからか、知識がないと難しいモチーフでもろくに説明しない。説明は品格を損ねる、これぐらいわかれよと仰る。わからん。この「説明しない」悪癖が、「もののけ姫」以降の宮崎作品を難解なものにしている。
  • サンのタタラ場襲撃からアシタカのデビルマン覚醒と撤退は、またまた痺れるアクションの釣瓶打ちだ。緩急の間がいいんだよな、息を呑む。それからこの映画、セリフがとてもいい。いいセリフ率が高い。「そなたの中には夜叉がいる」なんてカッチョイイ台詞を、いちばんヤバい祟り神をしょった半分怪物のアシタカが言うから効くんだよな。
  • アシタカと美輪明宏の対話。ここもセリフがいい。「私はここで朽ちてゆく体と森の悲鳴に耳を傾けながら、あの女を待っている。あいつの頭を噛み砕く瞬間を夢見ながら」 美しい。
  • 山犬たちと別れ、雨と霧の中を鹿に乗って進むアシタカ。と、あっという間に雨がやみ晴れ間が顔を覗かせる。と思えばすぐに雨になり、霧の中だ。遠く爆音を聞き、サンを思う。再び視界が開けると、戦場になったタタラ場が見える。不安定な天候をセリフ無しでたっぷり1分強(それでもたった1分強)を使って見せるこの場面、劇場での初見時からオレ大好きなんだよなあ。こういうのがあるから豊かな映画なんだと思うのだ。「もののけ姫」を尺に収めるために宮崎駿は苦しんだと聞く。この場面、よくぞ切らずに残してくれたものだと思う。
  • 以後のアシタカの右往左往のエンドレスアクションは眼福で、ひたすら駆けずり回るアシタカさんはお疲れ様なことである。アシタカが乗る鹿が四騎の追手から逃げる途中、立ち止まってその場でぐるりと回ってどうどう、なんて描くのクソめんどくさそうな芝居がゴージャスすぎて凄い。追手の放った矢で頭巾が外れてイケメン丸出しになる設計もうまい。アシタカは超人的能力で追手を仕留めるのだが、もうこのへんになると講談の名人が乗りに乗ってアドリブかましてるみたいで呆気にとられるばかりだ。焼かれる死体の山は「炎628」からの引用だろうか。独ソ戦マニアだもんな。
  • 神殺しのあと、タタラ場から見て山の稜線からヌッと出てくる巨神兵本多猪四郎の「ゴジラ」です。タタラ場を襲う巨神兵のドロドロは「マックイーンの絶対の危機」や「ブロブ/宇宙からの不明物体」みたいに見えるが、実のところあのドロドロは宮崎駿の内面から出てきたものだろう。以降の作品でも、宮崎駿は隙を見てはすぐドロドロするようになる。ぼくはドロドロは好きじゃない。
  • 大いに不満なのは終わり方だ。もうあからさまに「あー疲れた、はい、シメますよ」という感じで久石譲の音楽は露骨に押しつけがましくなり、ザコの牛飼いや天皇の狗の坊主が「シメ用のコメント」を発し、クシャナはいきなりいい人っぽく取り繕って(嘘に決まってんだろあんなもん)、挙句に小さい妖精のラストカット、なんじゃこれ「いつものやつ」じゃねえか。この投げやりな「ほれ一丁あがり」感が耐え難い。もう明らかに宮崎駿が力尽きてんだよな。ハードコアが急にお子様ランチになるんだ。
  • エンドクレジットで流れる主題歌はとてもいいんだけど、直前の投げやりなシメかたのせいで弱く感じる。
  • あ、それからタイトルもひどいと思う。もののけ姫は主人公ではない。

*1:「エイラ」6部作の感想:http://pencroft.hatenablog.com/entry/20140517/p1