「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-」

イオンシネマ綾川にてヴァイオレットちゃん。あの事件がなければ劇場で観ることはなかった筈なので、不純な動機による鑑賞といえる。

ヴァイオレット・エヴァー外伝 (★2)

感想を書く前にハッキリさせておかねばならぬことがある。オレは2018年のテレビシリーズ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は観ており、美麗なビジュアルに驚嘆しつつも作品への評価は甚だ低く、ゆえにこの外伝も劇場で観るつもりは全然なかったのである。にも関わらず劇場に足を運んだのは、2019年7月に忌まわしき放火事件が起こったためだ。あんなことがなければ、この作品はスルーしていた筈だ。つまりこれは京アニへの募金の延長線上にある行為であって、きわめて不純な鑑賞動機だと自覚している。


事件の舞台が京アニだろうとどこであろうと、酷いことに変わりはない。しかし事件報道は「よりにもよって、あの素晴らしい京アニが」という情緒に流されたものばかりで居心地が悪かった。これが京アニではなくたとえば深夜ソフトエロアニメ「僧侶と交わる色欲の夜に」の制作スタジオで同様の事件が起きたとしてもやはり到底許せない凶悪犯罪なのであるが、世間がそう思っていないのは明らかであるように感じた。イヤまーオレも芸術的損失は京アニの方が大きいと思いますけど、人命は等しく尊いわけでね。どのみち無力なアニオタは、被害者を悼んでお布施するしかない。オレがこの作品を劇場で観たのも、これぐらいのことしかできないからでしかない。しかし作品の感想は別の話だ。


テレビシリーズで感じた不満はそのままこの外伝にも当てはまる。細かく言えば無数にあるが大雑把に言うならば、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」で描かれる「架空のヨーロッパ風世界」はちょっと目に余るほどの薄っぺらさでとても成立しておらず、観ていて「それは本気でやってるのか?」「それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」という疑問で頭が一杯になってしまうのである。


我々はオタクであるがゆえに、斯様な「雰囲気もん」は糾弾せねばならぬ。この世界には大陸があって数十の国があるのに言語は1つしかなく、表記される文字も1種類しかなく、古語と現代語の差異もなく、人種はアングロサクソンしかいない。社会や産業や政治や軍事や歴史の設定もいいかげん。気になることだらけで、「こんな世界はない」としか思えない。すべてが中2的アコガレとご都合で構成されたペラッペラな世界。新海先生の問題作「星を追う子ども」の、スベりにスベった欧州内戦シーンが90分続くようなものだ。あのー、昔むかしのアニメ「アルプスの少女ハイジ」なんか、そりゃー作画の描き込みは京アニとは比較にならぬほど簡素なものでしたよ。しかし作品世界については死ぬほど考え抜かれていたし、あのアルムの山は実在するとしか思えなかったよな。京都アニメーションは「作品世界を創る」ことをあまりにも蔑ろにしており、画面を美麗に描きこむことばかりに傾倒して「考える」作業から逃げているとしか思えない節がある。あんな気の毒なことになった会社にキツいことは言いたくないが、言いたいことを言わずにおれぬ「作家」がいないんだろうなと思う。


設定のみならずお話もご都合を優先させすぎており、あんまり感心しない。「郵便配達人が運ぶのは幸せ」ときましたよ。郵便屋は赤紙(召集令状)とかメッチャ不幸な手紙も運んでくるんやで。ましてこの世界は数年前まで世界大戦やってて赤紙だらけだった筈なのだ。ヴァイオレットちゃんだって少年兵で殺人マシーンなんやで。よくも「幸せ」とか言えたもんだな。言い訳の余地はなく、この映画の根幹は嘘なのである。


この映画が嘘であると判った上で、アニメ大好き少年少女に「美しい嘘」をお届けするフィクションには価値がないのかと問われると、うーん、ハッキリ「価値なんかねえよ」とはオレには言いづらい。自分はこの映画を断罪する立場にはないと感じる。それでも、良くも悪くも「子供騙し」の映画なのは間違いないと思う。作り手には自覚があるだろうし、嘘を描いてシラを切り通す、そのためのアニメーション技術に磨きをかけるというのもひとつのやり方だろうとは思う。でも、あんまり好きにはなれないかなあ。ビジュアルは本当に、全部がサービスカットと言いたいぐらい美しいんだけど。

エンドロールの後、外伝ではない「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の予告が流れた。オレは本編ではなくこれに最も動揺したかもしれない。「鋭意製作中」とのテロップに、急がんでもゆっくりのんびりやってええんやで、と思いました。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン1 [Blu-ray]

ヴァイオレット・エヴァーガーデン1 [Blu-ray]