東京五輪に関する愚痴

今回は不快な文章ですみませんと予め謝っておくしかないネガティヴな内容なんだけど、なーもうさー今からでもオリンピックやめようぜーゴロゴロ、という気分が止まらない。2013年に東京開催が決定するよりも以前、招致運動の時点からオレはイヤだったんだ。東京に住むオレは、オリンピックの年に爆発的に発生するに決まってる不都合の無限連鎖、想像を超える醜態の数々、非日常に興奮したバカどもの大騒ぎ、など、など、などを間近で見ざるを得ず、それらを心から忌み嫌う者だ。いやいや東京五輪はもう決まったことなんだから張りきっていきましょうがんばっていきまっしょい、という方々も多かろう。それ知ってるよ、一億火の玉だろ、欲しがりません勝つまではだろ。合唱の練習に必死になる女子か。静かに暮らしたいと思っているのは吉良吉影だけじゃあねえんだぜ。

だいたいオリンピックなんて売出し中の後進国か、安定の超大国でやるもんじゃないのか。今や日本は国力ガタ落ち、落ち目で貧乏くさい国なんだよ。落ち目を世界にアピールしてどうすんだみっともない。

加えてオリンピックなるイベントが素晴らしいもんだとは全然思えないので、張りきっている連中がオレには田舎者にしか見えない。あんなもんは毎度毎度発祥の地ギリシャでやっておればよいのである。いや、そもそもオリンピックそのものが必要ないのだ。例年、各競技毎に世界選手権をやっておるわけで、それで何か問題あるのかと思う。近代五輪の歴史なんてたかだか100年ちょっとだろ、クソしょうもない。ボクシングのクインズベリー・ルールより歴史浅いやん。大相撲なんか江戸時代からやってるからな。

2020年東京五輪が現代日本人の悪いところすべてを白日のもとにさらけ出す地獄のイベントになるのは、もはや明らかであるように思う。招致活動をしていた連中の嘘八百。決まってみればやれエンブレムだ、新競技場だ、追加予算だ、賄賂だなんだとクソみたいな話だらけ。何かあるたびにオレは「そら見たことか」「言わんこっちゃない」と胸の内で呟いていたのだが、頻出する問題の多さに最近は「そおおら見たことかあ。言わんこっちゃあないんだよおお。ほええん」などとリアクションが大げさになってゆくばかりでバカみたいだ。心の底からうんざりしてるんだけど、ナーニこんなもんで済むわけがないからね。これからもまだまだ出てくるぜ犬のクソが山盛りなんだぜ。オリンピックとパラリンピックがようやく終わるその時までに、自分が日本人であることがどれだけ嫌になっているだろうと想像すると、今から憂鬱になるんだよなあ。


宇宙最強ドニーさんと「現代の武」を考える

ブルーレイで「カンフー・ジャングル」。今を生きるドニーさんの、今を生きる現代の映画でした。

「武」の再定義を模索するような内容で、実に興味深く観た。(★4)

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「心が叫びたがってるんだ。」にイライラ

一見よさげな悩める青春群像が、問題の核心にまったく触れぬままウヤムヤに解決。トラウマやアイデン&ティティの問題が結局は色恋沙汰に収束する。作り手の青少年への侮りは許しがたく、大問題と思う。(★2)

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立てば芍薬 座らない


これは本当に便所の落書きみたいな個人的な独白なので、あんまり真に受けないでいただきたいと願います。

ボタンが嫌いだ。ボタンと言ってもいろいろあるが、オレが嫌いなのは穴に糸をグルグル通して辛うじて服にくっついているあれだ。オレは服飾、ファッション、オシャレといったものに生来疎く、今後もそれを学んだり着飾ったりする気は一切ない。しかし、服に糸でくっついており簡単に毟り取れる、穴の空いた円盤状のアレの存在は許しがたく、あんなものを身に着けているようでは人類はいつまでたっても土人のままなのではないかとすら思う。ボタンの「簡単に取れる」「とれたボタンは糸でくっつける」「それもわざわざ簡単に取れるようにくっつける」といった不便極まりない特性がオレを苛立たせる。そんなもん最初から不良品としか思えないのだ。斯様なクニクニとくっついてんだかくっついてないんだか判らないあやふやなものを身に付けるということに、まともな人間なら絶大なストレスを感じる筈なのである。だからオレは、ボタンのついた服は極力着ない。ボタンというのは西洋人の発明だと思うが、21世紀に至ってもこれほど不様なものを更新せず改善せず放置しているのは正気の沙汰とは思えぬ。ファッションのことは何も知らぬオレではあるが、それでもオレは醜いものが嫌いで、ボタンは実に醜いと思うのだ。

同様に、靴というものも極めて不完全な発明だと思っている。あんなもんは細菌の温床で健康に悪いし、歩きづらく使いにくいだけだ。オレは男なので履かないがハイヒールなんて言語道断、人間への侮辱としか思えぬ。世には足袋に草履に雪駄下駄、各種サンダルなどのすぐれた履物がたくさんあって、地面の状態によっては裸足だってたいへん快適なのに、我々が生きるこの土人社会では靴を履かねばならぬ局面が少なくない。職場とかな。まったく馬鹿馬鹿しいことである。靴を履いたほうが走りやすいというご意見もあるだろう。だったらそういう人は靴履いて汗かいて走っておればよろしい。オレはそもそも走りたくないのである。昔の日本人はほとんど走らなかったと聞く。また、死ぬほど走ってた飛脚だって履いていたのは草履だ。靴ひもなんてものには最高にイライラする。あんなもの結ぶなんて原始人のやることだ。だから、こういった発明は悪くないと思う。ちなみに、やはり履きにくいがゴム長は構わない。ゴム長には明確な目的と機能(テーマとプラン)があるから、あれは美しいのである。

さらに言えば、「ネクタイ」という存在理由すらさっぱり判らない意味不明の細長い布がある。あんなもん今日にでも絶滅すべきだと真剣に思う。考えてもごらんなさい、あした高度な文明を持つ宇宙人が飛んで来てさ、人類のオスの多くが首にぶら下げている布には何の意味があるのか問われてから顔真っ赤にして恥ずかしがっても遅いんだぜ土人ども。

「ワールド・ジュラシック」ならWJだったのに

ブルーレイで「ジュラシック・ワールド」。

「旧パークの恐竜は本物の恐竜だったが…」という台詞があって唖然とさせられる。(★3)

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更新され続けるジャンル映画

日夜メディアで報道される世の中のあれやこれやに対しては「お前らはまだそんなことをやっているのか」(「未来少年コナン」のオジイより引用)などと思うことの多い意識の高すぎるわたくしではありますが、その逆っぽいことがあったので書きとめておきたいのです。

先日、DVDで「ズーランダー」と「ジム・キャリーはMr.ダマー」を久しぶりに観た。「ズーランダー」は公開時に劇場で、「Mr.ダマー」はソフト化された時にVHSで観ており、どちらもたいへん面白く、大いに笑った記憶がある。だからまあ安心してもう一度観てみようと思ったわけなんだけど、これがですね、思いのほかなんちゅうか、あんまり面白くなかったのですね。ギャグの手数が少なく、笑えない時間が意外なほど長かった。

一方で現代のアメリカ産コメディ映画、多くはDVDスルーではあるけどオレはサムタイムときどき観ていて、これらは普通に面白く、笑えるものが多いと感じる。最近はジャド・アパトー一派の成功で、ボンクラ男の通過儀礼ものがジャンルを席巻している印象だ。

さて主観ばかりで話を進めてなんだか申し訳ないが、2001年の映画「ズーランダー」と1994年の映画「Mr.ダマー」が今観るとあんまり面白くなかったというのは、非常に健全で結構なことだと思ったのだ。それはコメディ映画というジャンルが先人の仕事にプラスする形で年々更新され、進歩し続けていることを意味するからだ。まー極端な話、今どきのヤングはエンタツアチャコ早慶戦では笑わないという話である。上記2本は今なお愛せる映画であるし、自分もやっぱり好きだ。また時間に劣化されない「古典」という存在もあるのだけどここでは考えず、あくまでもナマモノのコメディとしての話であります。

たとえば「ズーランダー」は「モデルはみんな頭空っぽのアホばかり」とするバカ映画に本物の一流モデルがカメオ出演しまくり、ファッション業界全体がこの悪ふざけに乗ってくれた感じが当時は実に面白かったわけだけど、この構図は2007年の傑作「俺たちフィギュアスケーター」によって受け継がれ、見事に「更新」された。なにしろフィギュアスケートの歴代名選手たちが「フィギュアスケートってなんか変じゃね? オカマっぽいし」というバカ映画にノリノリで出演しまくり、観客は思わず「お前らそれでいいのか!」と突っ込まざるをえない始末。「俺たちフィギュアスケーター」の製作には、ベン・スティラーの名前がある。彼は「ズーランダー」で発見したオモシロを、より洗練された完璧な形で実現させたわけだ。かくして「ズーランダー」は古びて過去の映画になったわけだが、わたくしコメディ映画には「今観て面白いか」とは別に「公開時にどれだけウケたか」「後の作品にどれだけ影響を与えたか」という価値基準もあると考えるので、これをもって「ズーランダー」の価値が下がったとは思わない。むしろ映画史的に重要な作品であることが証明されたと思っている。

斯様な進歩はホラー映画やアクション映画など、さまざまなジャンルで起きていることだ。たとえば日曜の朝にやってる東映特撮や東映プリキュアなんか毎年毎年毎週毎週似たようなことばかりやっているせいで、予算が上がったわけでもなかろうに映像の質がどんどん上がって四天王プロレスみたいなことになっておるではないか。

昨年は「Mr.ダマー」の20年ぶりの続編が作られ、今年は「ズーランダー」の14年ぶりの続編が公開されるそうだ。ファレリー兄弟ベン・スティラーも、果てしなき「更新」の歩みを止めていない。立派な人たちだなあと思うのです。

ズーランダー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
ジム・キャリーはMr.ダマー [DVD]
俺たちフィギュアスケーター [DVD]

「スター・ウォーズ フォースの覚醒」と「クリード チャンプを継ぐ男」

すっかり年末でございます。今年は大晦日の朝まで仕事で、夜は友人宅でRIZIN観て年を越す予定。大晦日まで働くのはいやだけど、1年前の年越しに比べればこれでも御の字であります。なにしろ去年は仕事でタイ人の皆さんとタイ寺院で年を越し、そのまま働き詰めで2月を迎えたのだった。はてなダイアリ書いてる暇もなかったな。

わたくしの本音を言えば「フォースの覚醒」がどれほどいい映画であろうとしょせんは非ルーカス映画、むしろ世界でただひとりジョージ・ルーカスだけが作れる誰も望んでいない内容の新作クソ映画のSWとともに地獄に落ちてこそ本望、世を呪いルーカスを呪ってナンボですわという原理主義自爆テロ気分はあったのだ… これは嘘偽りなく本当にあった。

しかし、1978年のSW日本公開から長い時間が経ちました。すべてのSWを劇場で観てきたわたくしもすっかりおっさんだ。帝国の逆襲に胸を焦がした少年時代は遠くなり、記憶の彼方に滲んでいる。SWを買ったディズニーは特別に気に入らないコングロマリットなれど、それでも人々が笑顔でSWを楽しめる時代が来たのであればおっさん何も言うことあらしまへん、老兵は去るのみ、ええがなええがな、レイア・オーガナというのもこれまた正直な気持ちなのであります。「ピープルVSジョージ・ルーカス」のクローン大戦は終焉を迎え、我ら元老院議員たちは泥沼の「ピープルVS庵野秀明」でも死ぬまでやっとればええんです。

いやあ「フォースの覚醒」楽しかったですねえ。登場シーンからしてレイちゃんはナウシカですよね。あの何に使うんだかよく判らぬ棒、あれ要するに風使いの杖でっしゃろ。次作ではナギナタ状にライトセイバー化、そんでダークサイドに堕ちてレイちゃん大立ち回り、首チョンパ腕チョンパ、杖一本でトルメキア兵皆殺しや。そこに老ルークがブワーッと飛んできて「双方動くな」ですがな。「あの男、スカイウォーカーです」「知っとるわ!」言うてねえ。ま、こんなヨタを吐くのもSW特有の楽しみのひとつです。それからフィン君が以前に出てた「アタック・ザ・ブロック」は佳作なので、皆さん観るといいですよ。

クリード チャンプを継ぐ男」は、アメリカ映画を代表する人気シリーズの7作目という共通点こそあるものの、「フォースの覚醒」とは根本的に違う性質の映画だ。シルベスター・スタローンが「ロッキー」を他者に売ることは金輪際ない。スタローンは異常に面倒見のいい男で、今まで多くの若い監督や若い俳優、若くない消耗品どもにチャンスを与えてきた。彼自身がメシも食えない状況からチャンスを掴んでのし上がった人間だからなのだろうな。今回の映画は若手監督による企画・脚本・演出ではあるが、スタローン自身は世界トップクラスの脚本家であり監督でもあり、彼がOKを出した作品ならまず大丈夫だという信頼はあった。実際観てみたが思った通り。「ロッキー」らしくシンプルで、愚直で、骨太な、本物の映画だった。アポロの奥さん、ミセス・クリードには高度な演技が求められるので今回演者が変わっていたが、これは仕方なかったのだろうな。まー似てたからいいや。

クリード」は、我々が「ロッキー」を観ることで知ったもののまだ行ったことのないフィラデルフィアという街の魅力にあふれており、全編ほぼずっと楽しい映画だ。しかし、楽しいばかりではロッキー映画にならないのも周知の事実。かつてロッキーが自分がただのゴロツキではないことを証明したように、クライマックスには、主人公にしてアポロの子アドニスという人間の本質、彼の、彼だけの動機が露わになる場面がある。我々はその瞬間に立ち会い、感動する。斯様な胸打つ「真実の瞬間」がひとつ、たったひとつあるだけで、それは忘れ難き映画になるんだよな。それからアドニス君が以前に出てた「クロニクル」もなかなかの佳作なので、皆さん観るといいですよ。

絢爛お祭り映画たる「フォースの覚醒」の多幸感、「クリード」に灯る人生の小さな真実。いやー映画ってホントいいもんでして、とても充実した、いい年末でしたよ。それに比べてなんですか、RIZINですか? …I have a bad feeling about this.

11.12と11.15に見たプロレスの断面

ありがたくも不思議な縁があってお誘いを受け、仙女ことセンダイガールズプロレスリングの11.12後楽園ホール大会を観戦した。お目当ては旧姓・広田さくらの名人芸と、仙女vsスターダムの5対5勝ち抜き団体対抗戦である。

広田さくらの突き抜けた達人ぶり、里村明衣子の役割への過剰な入りこみの迫力は知っていた。突然変異の天才広田と長与の遺伝子を色濃く受け継ぐ里村は、ともに銭のとれるプロレスラーであります。まーそんなことはすっかり女子プロレスに疎くなってしまったオレなんぞよりも、詳しく語れる人がいくらでもおられることだろう。

この興行最大の衝撃は、仙女の新人・橋本千紘だった。勝ち抜き戦の先鋒として登場し、圧倒的強さでスターダムを3人抜きして紫雷イオに敗れた。橋本は日本大学レスリング部出身で、先月仙台でデビューしたばかりのド新人だ。しかし、疑いようもなくすでに本物である。

彼女の一挙手一投足に、どよめきがホールを揺らした。自分の強さを持て余し、どこか戸惑っているかのようなその佇まいに、目の肥えた後楽園の観客が一発で心を掴まれてしまった。スレきったプオタ相手に何がウケるかばかりを考えざるをえず、すっかり脳化社会と化した現代の女子プロレスの世界に彼女はただシンプルで骨太な「強さ」だけを握りしめ、ノープランでリングに立っていた。その純粋さたるや、汚れちまったわたくしなんて目がつぶれるんじゃないかと思うほどの眩しさだ。文明社会に迷いこんだキング・コングの如き極上の天然素材である。またスターダムの何でも器用にこなせるおキレイな女の子たちが相手だけに、橋本千紘の「本物」感は実に際立っていたんだよなあ。格闘芸術を愛してやまぬプオタ諸兄よ、彼女を覚えておいていただきたい。

さて彗星の如く現れた橋本千紘の興奮冷めやらぬうちに、11.15両国国技館天龍源一郎引退興行が行われた。当日は仕事で観られず、翌日ネットの新日本プロレスワールドで観た。

webでは多くの諸兄が天龍引退試合の感動と興奮を綴っておられ、もはやオレが付け足すことなど何もない。歩くのもキツそうで要介護認定されちゃいそうな状態の天龍を相手に、現役ビンビンのオカダ・カズチカは試合を成立させてみせた。あの天龍が、こんな状態になってなお懸命にチョップを放つ姿には泣かされるよなあ(同興行では藤原喜明にも泣かされた)。しかし腕の1本も動けば、できるプロレスはある。障害者プロレスドッグレッグス」を持ち出すまでもなく、オレの脳裏には現役最古参レスラー(当時)ミスター珍の記憶が色濃く残っている。珍さんがそうだったように、天龍もできることをすべてやって敗れ、若者のコヤシになった。オレは天龍を好きだったこともあったし、嫌いだったこともあったよ。両国に来てくれたテリーとハンセンとともに、天龍はテキサスの化石になった。黒はプライド、黄色は劣等感。さようなら、天龍源一郎

同興行のセミファイナルでは藤田と諏訪魔がファンの不興を買い、大日本の関本大介岡林裕二が株を上げた。プロレスラー藤田は全然買わないが諏訪魔は大好きなオレは、なんとも煮えきらぬ複雑な心境になった。確かに諏訪魔は、まーいろいろうまくねえよな。判ってるんだ、判ってて好きなんだけどな。

プロレスラーとしては何ひとつ褒められない藤田はともかく(健介に胴締めスリーパーして3カウントとられた両国が代表作)、諏訪魔の燻りっぷりにはため息しか出ない。2012年にオカダ中邑組と当たったタッグ(あれも両国だ)からもう3年。今やオカダは設定に中身がだいぶ追いついてきて、天龍の最後の相手に選ばれ、キャリア上極めて重要なこの試合を作り、倒した天龍への礼ひとつで多くを語らずにすませられるレスラーになった。対して諏訪魔は、何も成長していないように見える。今回も机を持ちだしていたが、諏訪魔は「暴走」して大暴れすれば客が喜ぶと思っている節があり、しかも暴走の中身ときたら机やイス攻撃なのである。このステージの低さ、もう可愛げとは言ってられないキャリアの筈なのだ。オカダとは比べものにならぬ金無垢の素材なのに、頭と環境の違いでこれほどの差がついてしまう。人間くらべは、時に残酷だ。

こういう時にどんなことを考えればいいか、オレは知っている。かつてミルコ・クロコップに蹴っ飛ばされて失神したドスカラスJrことアルベルト・デル・リオは先月華々しくWWEに電撃復帰し、ジョン・シナさんを撃破して大復活を遂げた。一方、ミルコは薬物騒動とともにドサクサ引退。デル・リオさん完全勝利! 敗北を知りたい! 人生は長いのさ。

「コワすぎ!」シリーズで、誰も行かない未来へ

オレが好きなジャンルのひとつに、フェイクドキュメンタリーというものがある。幼い時分に「食人族」や「川口浩探検隊」と出会い、後追いながらヤコペッティ作品に触れ、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の成功とそれが生み出した潮流をやや遠目に眺めてきた。『トロール・ハンター』は近年の傑作であったと思う。逆に出来のよくないフェイクドキュメンタリーは大嫌いで、松本人志のデビュー作「大日本人」などは酷評せざるを得なかった。自分のそこそこの経験から言って、真実ノンフィクションの純ドキュメンタリーにおいても「フェイク」の瞬間は存在するし、やらせ上等フェイクドキュメンタリーの中にもどうしようもなく「リアル」は存在するものだ。出来の悪い作品は総じて、このへんに無自覚なのですね。

常に金のないホラー映画というジャンルは金のかからないフェイクドキュメンタリーというジャンルと親和性が高いため、「ブレアウィッチ」の成功後は特にそのような作品が増えた。しかしオレは、「ブレアウィッチ」こそ劇場で観たもののその後のフォロワーはあんまり観てこなかった。だってホラー映画っていっぱいあるし、怖かったらイヤじゃないですか。

戦慄怪奇ファイル コワすぎ! FILE-01 口裂け女捕獲作戦 [DVD]

戦慄怪奇ファイル コワすぎ! FILE-01 口裂け女捕獲作戦 [DVD]

ここ1、2年ほどの間、「白石晃士監督のホラー映画は面白い」「特にコワすぎ!は面白い」という風の噂は聞いていた。それもけっこうな目利きの方々からそのような話が漏れ出ていたので、気になってはいたのだ。仕方ねーな、じゃあそろそろ観てみるか、ということでオリジナルDVD「戦慄怪奇ファイル コワすぎ!」シリーズを、現時点の最新作「戦慄怪奇ファイル 超コワすぎ! FILE-02【 暗黒奇譚!蛇女の怪】」まで観てみた次第。これがですね、まあなんちゅうか… クッソ面白かったんですね(小声で)。好事家たちが騒ぐのも当然だと思った。

ネタバレしたくないので内容には一切触れられないのだが、まともに「ホラー・フェイクドキュメンタリー」と呼べるのは1本目の「FILE-01【口裂け女捕獲作戦】」ぐらいで、2本目の「FILE-02【震える幽霊】」以降は観客の「値踏み」を大きく逸脱する展開を見せはじめる。ここまでいくのか、そこまでやるのかと驚きながら観ているうちに「どこまでやるねん…」と呆れながら観ていくことになる。ここに至ってはフェイクドキュメンタリーが絶対手放してはならない「リアリティ」すら放棄する瞬間も多々あり、本当に驚かされる。繰り返すが、正直言ってホラーとしてちゃんと怖かったのは1本目だけで、あとはもう「それどころではなくなる」としか言いようがない。特に「FILE-02【震える幽霊】」から「史上最恐の劇場版」までの5本のヴォルテージの高さたるや、ちょっと記憶にないほどのものだった。

オレの感覚としては2008年頃に「マッスル」のDVDを一気に観ていた時期の、「ここまでやっていいのか」「この次はどうするんだ」「こんなことまでやっちゃうのか」「これをプロレスと呼んでいいのだろうか」と感じた動揺に近い。「コワすぎ!」はホラー映画における「マッスル」であり、「行こうよ!ホラー映画の向こう側」とDVDのパッケージに書いてあったとしても違和感を感じない類の作品だ。「破壊なくして創造なし」でもいいかもしれない。なにしろジャンルの根底を揺るがすエネルギーがあり、こういうものを作れる人というのはいったい何なのだろう、天才なのか、勇敢なのか、案外ただの頭がおかしい人なのかもしれない。白石監督はDVDの特典映像内で「「コワすぎ!」は行き着くところまで行く」と発言しており、ある種の覚悟、自爆テロ精神、スネ夫を殺してぼくも死ぬ的な肚の据わりようを感じさせる。

同時に、フェイクドキュメンタリーというジャンルの現在の到達点がお手軽に体感できるのも楽しい。これは監督が国内外を問わず同ジャンル作品や別ジャンル作品から面白いものを臆面もなくパクりまくっているからで、元ネタを推測するのも面白く、いかにも「今」のエンターテインメントだなあと思う。「今、面白いもの」は今、観なくては意味がないんだと痛感した。

ある芸人は「ブレイクとは、バカに見つかること」と言った。一部の目利きの間で楽しまれてきた「コワすぎ!」シリーズが、ついにオレ様ちゃんというバカの目に触れるところまで来たわけだ。文学でもマンガでも映画でも、エロDVDでもいい、あらゆるジャンルの中には多くの才能が眠っていて、中でも互換不可能な才能だけが「バカに見つかる」壁を突破して世間に躍り出てくる。オレはマッスル坂井のなんとも形容しがたい才能に驚かされたし、たとえば「クレヨンしんちゃん」のアニメから原恵一という才能が出てくるなんて、誰が予想できただろうか。そんな突破の瞬間を同時代人として体感できるのは、本当に嬉しいことだと思うのです。だから皆さん「コワすぎ!」観ましょう。行こうぜ! ホラー映画の向こう側! 汗ばむ夢の切符を握りしめろ!

戦慄怪奇ファイル コワすぎ! FILE-01 口裂け女捕獲作戦 [DVD]
戦慄怪奇ファイル コワすぎ! FILE-02 震える幽霊 [DVD]
戦慄怪奇ファイル コワすぎ! FILE-03 人喰い河童伝説 [DVD]
戦慄怪奇ファイル コワすぎ! FILE-04 真相!トイレの花子さん [DVD]
戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 劇場版・序章 真説・四谷怪談 お岩の呪い [DVD]
戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版 [DVD]
戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 最終章 [DVD]
戦慄怪奇ファイル 超コワすぎ!FILE-01恐怖降臨!コックリさん [DVD]
戦慄怪奇ファイル 超コワすぎ!FILE-02 暗黒奇譚!蛇女の怪 [DVD]

実写「進撃の巨人」後編の前半を観て思ったこと

前編からの因縁もあって、「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」を観に行った。正直言って「ジュラシック・ワールド」みたいにそこそこ楽しいに決まってる映画をわざわざ観るなんてめんどくさいなーというやさぐれ気分であったのは確かだ。

さて後編だが、後半寝ちまったので感想もクソもない。きっと面白い映画だったんだろう。ジュークボックスの凄まじい場違い感とか、エレンの前にシキシマ先輩がシャンパン持って登場とか、いつの間にか2人とも部屋着に着替えてたりとか(なぜだ。事後か)、前半だけでもおもしろ要素はいっぱいだ。しかし、壁に着くともういけない。穴を塞ごうが塞ぐまいが、心底どうでもいいと自分が思っていることに気づかざるを得ず、睡魔に負けてしまった。でも終盤の格闘からラストまではまた起きて観たよ。あのねえ、エンドロールで席を立ってはいけませんよ。

冒頭に國村隼のお寒いお寒い説教があり、なんだこいつ芝居ドヘタやなーと思ったものの、彼が「アウトレイジ」なんかでは別人の如くまったく寒くなかったことに思い当たり、目の前が暗くなるような気持ちになった。ド寒いのは、役者ではなく樋口真嗣の演出能力なのである。しかしちょっと待ってくれ、樋口真嗣はたけしの10倍くらい映画観てるんじゃないのか。ガキの頃から特撮現場に侵入してきたオタクエリートなんだ。それがあんなすっかり面白くなくなった芸人に、映画基礎体力で圧倒的大差で負けてんだ、アンビリーバボーとか言ってるやつに。いやまあ北野武なんてとっくの昔に世界の巨匠で、オレだってそれくらい知ってます。しかしこの歴然とした力量の差、呆然とする他はないよなあ…

芝居がつけられない監督の能力不足はともかく、町山智浩が脚本に参加してこのザマなんだという事実にも意気消沈せざるを得ない。前編の時も書いたがオレはライター・評論家として町山氏を好きだし、おおむね支持できる(時々はできない)。しかし今作はかつて映画秘宝が口を極めて罵り、コケにしてきた底抜け邦画そのものだ。聞けば各方面からの様々な要求に応えて何度も何度も脚本を書き直したとのことで、なるほどそりゃーさしもの町山氏の軸もブレちゃいますわなーと思ったところで今回の結論。

数々の底抜けバカ映画の多くは、たぶんひとりひとりは決してバカではない、むしろ優秀な人々によって作られている。ただ彼らには立場の違いが生む様々な思惑があり、すべての思惑を実現することは原理的に不可能で、作品の根幹には宿命的に矛盾が生じてしまう。船頭の多い製作委員会方式の映画は、この穴に落ちやすく山に登りやすい。これを回避する方法には黒澤天皇方式、ジョージ・ルーカス庵野秀明の稼いだマネーで自主制作方式、また王道としては自分が偉くなり製作も兼ねるヒッチコックスピルバーグ方式などがある。複雑な思惑の混乱がなければ、映画には作り手の力量がそのまま反映される。その意味で混乱した実写「進撃の巨人」よりも遥かにストレートに「作家の映画」だったと思うのが、やはり樋口真嗣が参加した「CASSHERN」だ。タツノッコン王国の思惑どこへやら、あれは徹底的に作家キリキリこと紀里谷和明の映画だった、出来はまあアレとして。

蔓延する製作委員会方式の下では、個人の才能は突出しにくい。テレビ局映画なんかその最たるものであろうが、一方で放ったらかし気味にされた空き家みたいな企画から「桐島、部活やめるってよ」のような佳作が生まれることもあり一筋縄ではいかない。そして、現代日本における「有能な監督」とは芝居をつけるのがうまい人ではなく、矛盾した様々な要求に対してとりあえずNOと言わない人、作品がある程度おかしくなってしまうことを厭わず、各方面の様々な思惑を呑み、あっちを宥めこっちを誤魔化し、幾つもの矛盾を抱えたまま各所根回し調整してどうにかこうにか形に仕上げられる監督のことを言うのだろうと思う。「ときメモ」で女の子たち全員の爆弾が爆発寸前ながら、どうにか爆発させずにグッドエンディングに辿り着くような才覚が求められるのだ。しかしですね、身勝手な観客としては、やっぱり黒澤天皇方式の映画が観たいんだよなあ… 三船敏郎を本物の矢で射るような映画が…(あれ現代なら逮捕されます)

「トゥー・ブラザーズ」を観て、我が「虎映画」の夢を想う

DVDで「トゥー・ブラザーズ」。面白い映画も撮るがクソみたいな映画も撮るジャン・ジャック・アノーの動物映画。残念ながら、これはクソの方だった。

動物の撮影は見事だが、ご都合だらけの物語を真剣に追う気になれず、お伽話としても不出来でタチが悪い。(★2)

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「櫻の園」

櫻の園【HDリマスター版】 [DVD]

櫻の園【HDリマスター版】 [DVD]

  • 発売日: 2012/03/30
  • メディア: DVD
中原俊の「櫻の園」は1990年の映画で、VHSのビデオになってすぐレンタルで観たと思う。なにやら判るような判らんような話だったが、女子高独特の雰囲気(諸説あります)になんとなくドキドキした記憶がある。今回、およそ20年ぶりのDVD鑑賞。この作品が源流となり「けいおん!」に繋がるんだなー(ヨタ)。

その日誰かが「櫻の園」中止になんねーかな、と思っていた (★4)

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