愛の問題

いきなり人種差別的なもの言いで心苦しいのだが、オレはフランス人になんとなく偏見を持っている。いや、フランスに行ったこともないし、フランス人と喋ったこともねえんですけどね。あくまでも映画や小説やテレビやなんやかんやの総合的なイメージの話で、だからこれは明らかに偏見なんですけどね。連中はなにかってえとすぐ「愛」「愛」「セックス」「愛」「愛」「ジュテーム」「愛」「トックリセーター」「愛」「愛」でしょう。あれがどうもイヤなんですね。イヤというか苦手なんですね。ウェルベルは現役作家ではかなり好きなほうだし、フランス人作家というハンデ(オレの場合フランス人ってことはハンデなのだ)を考えると非常に健闘している作家だ。しかしウェルベルもやはりいざとなると「愛」「愛」「愛」「フランスパン」「愛」と言い出しかねない危うさがあるのだ。フランス文学、フランス映画をお好きな方はまさにそこがお好きなんだろうが、オレは本気で苦手なのだ。フランスで唯一ヒゲを生やした中学生リュック・ベッソンでさえ、第五のエレメントは「愛」だったりするわけです。もうねえ言うちゃ悪いけど失笑ですよ。ああこれネタバレですかそうですか。
学生だった頃、よく講師に言われたことは「おいおまいら、ちょっとは女を描け。愛を描け」ということだ。そんなん言われたってなあ、女性や愛よりも描くべき重要な事柄が世界にはたくさんあって、ほら怪獣とかゾンビとか、功夫とかいろいろあるだろ? と思っていた。そもそも女なんてよくわかんねえしね、別に女が全然出てこなくても面白いものは成立しうるのだからオレはそっちでいいやと。自分の妄想の中だけで女性を描くという選択肢もあったかもしれないが、大林宣彦の映画を観たら気持ち悪かったのでやめた。恋愛映画なんか掃いて捨てるほどあるけど、例えばゾンビ映画は誰かがやらねば滅びかねないのだぞ! という当時の姿勢は今でもあんまり変わっていない。別に観るぶんには恋愛の映画でも全然かまわないのだが、それでもこれがフランス映画となると、どうも連中の愛至上主義のようなものが気持ち悪くていけない。愛こそ全てですか、愛は世界を変えますか、愛は地球を救いますか。まあちょっとおまえ麦茶でも飲んで落ち着けと。見ろよ青い空白い雲。そのうちなんとかなるだろう。
オレがジュール・ヴェルヌを神のように崇拝している理由のひとつは、フランス人であるにもかかわらず彼の小説には「恋愛」が一切出てこないからだ。そもそも女性がほとんど出てこない。インドあたりで拾ったお姫様と主人公がくっつく『八十日間世界一周』でさえ、冒険旅行を描くのに夢中で女性や愛情の描写はほとんどない。そのあたりは実にいいかげんで投げやりなのだ。そして「愛」も「ジュテーム」も「セックス」もないのに、なお彼の小説は圧倒的に面白いのである。

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八十日間世界一周 (創元SF文庫)

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