「ムーブ」私見

紙プロの携帯サイト「紙のプロレスHand」で始まったケビン・ランデルマンの連載コラム、「ケビン・ランデルマンのジャングル日記」が非常に興味深かった。子供の頃からのプロレスファンだというランデルマンが、一番好きだったプロレスラーは誰だと思いますか。「スーパー・フライ」ジミー・スヌーカだそうだ。言われてみればなるほど納得で、ランデルマンのあのムーブはまさにスヌーカの影響だったのだ。

彼は決して大きくない身体でファンが驚くムーブを連発してただろ? 俺も身体は小さいから、そんなスヌーカは憧れの対象だった。

さてこの「ムーブ」という言葉を単に「動き」と訳してはダメだろう。「所作」とでも訳せばいいだろうか。そのレスラー固有の所作、仕草とでも言うべきものだ。何も驚異的な跳躍力や滞空時間の長いフライング・ボディプレスだけが、スヌーカ独自のムーブではない。歩きかた、ロープの跨ぎかた、リングアナのコールを受けるときの指先の表情(これ絶品!)・・・「ムーブ」はどこにでもあり、レスラーはそのすべてを観客にさらけ出す。
プロレスに限らずあらゆる「見られることで成立するプロ」の世界において、この「ムーブ」に魅力がない人間はプロ失格である。これは人間そのものから滲み出るもので、とってつけたようなムーブで誤魔化せるものではない。言うちゃ悪いけど永田さんの敬礼が笑いの対象になっているのはその「取ってつけた」感が原因だ。旧全日本のいわゆる「四天王プロレス」が支持されたのは、そのハードコアっぷりもさることながら、それぞれのレスラーが「そのレスラーでしかありえない」個性的なムーブを見せていたからだと思っている。特に三沢光晴は、その一挙手一投足が魅力あるムーブにあふれている。平成になってからの純プロレスでは、三沢のムーブはズバ抜けた存在だと思う。時代を昭和に戻せば、ちょっとした仕草のすべてに意味や喜怒哀楽を感じさせてしまうという意味で、アントニオ猪木は悪魔的なほどにムーブの天才であった。
オレはこれは役者の世界でも同じだと思っている。どんな映画に出ても丹波哲郎役しかしない丹波哲郎のような立派な人は勿論、例えばカメレオン役者の代表のようなロバート・デ・ニーロにも固有のムーブはあり、それが彼の魅力になっているのだ。これは手の仕草や首の動かしかた、特に頭頂部を支点にした振り向きかたに注意してデ・ニーロの映画を観てみるとよく判ると思う。