ベニー・ユキーデになれなかったよ

アルティメット・フォース 孤高のアサシン (通常版) [DVD]

アルティメット・フォース 孤高のアサシン (通常版) [DVD]

DVDで。つい先日ガッツ石松の「カンバック」を観たこともあり、どうして本職が映画ではダメなのかをつい考えてしまう。「カンバック」のボクシング場面も褒められたものではなかったが、「アルティメット・フォース」の格闘場面もそれはそれはショッパかったのだ。
観客が映画に求めるアクションと、本職が考えるそれは違う。例えば「ロッキー」のボクシング場面なんか、ボクシングファンから見たらメチャクチャでしょう。でも映画では、あれがいいんだよな。映画には映画のアクションがあって、そこでは本職が考える「リアリティのあるアクション」なんかまったく通用しない。現実の世界では世界チャンピオンでも、映画の世界に足を踏み入れた途端にド素人に落っこちてしまう。映画の世界ではミルコ・クロコップが100人束になっても、リー・リンチェイ1人に敵わない。ちょっと考えれば当たり前の話で、「どう蹴れば効くか」ばかり考えてるやつより「どう蹴れば美しいか」ばかり考えてるやつのキックのほうが、そりゃ見てて気持ちいいに決まってる。

では見せることを常に考えているプロレスラーは映画の世界で通用しているのか。これも残念なことに、通用しているとは言い難い。すべてをライブで見せるプロレスは、どこどこまでも作りこめる映画とはまた違った世界だ。例えば、オレ観てないんだけどセシル・B・デミルの「地上最大のショウ」なんか、絶対に面白くない筈だと思うのだ。ライブで観て面白いサーカスを、そのまんま映画で観せてもダメだろうと思うからだ。

しかしプロレスにしろ格闘技にしろ、「本職」が映画の世界でも輝けたとしたら、それはどんなに素晴らしいことだろう。ファンの1人としてはそう思う。オレ以外にもそう思う人が少なくないから、ケンシャム映画とか船木さん映画とかミルコ映画とか八巻さん映画とかが後を絶たないのだ。そういった「本職映画」の成果たるやひどいもんで死屍累々なのだが、それでも「映画で本職が輝く」という偉業を達成した実例は、ごく僅かだが存在する。その筆頭は言うまでもなくブルース・リーである。あの人は本職のくせに、映画のケレンというものを知り尽くしていた。

スパルタンX」では、ベニー・ユキーデが輝いてみせた。活動写真の申し子ジャッキー・チェンと絡んだからこそである。オレは「スパルタンX」の撮影現場で格闘家ベニー・ユキーデが映画の中に何を発見したか、それを知りたい。サモ・ハンやジャッキーら「表現の鬼」たちにああだこうだ指図されてヒイヒイ言いながら格闘場面を作りあげ、完成した映画を観たとき、ガッチンコ一筋に生きてきた彼が何を感じたのか知りたい。何かそこに、アクション映画必殺の極意のようなものが、もしかしたら垣間見えるような気がするのだ。kamiproでも映画秘宝でも、誰かインタビューしねえですかね。