「耶蘇会士日本通信」が描いた織田信長の凄み

調べものの中で、面白いものを見つけた。仕事で調べた内容をここに書くのは本当はよくないのだが、まあ狙ったネタはボツだったので、その周辺の事柄なら書いてもよかろう。
かつて日本に渡来したイエズス会の宣教師たち、彼らが本国へ送った通信報告の文書には、伝道の首尾や苦労とともに当時の日本の世相が赤裸々に描かれており面白い。大正15年に日本語に翻訳され出版された「耶蘇会日本通信」には、外国人が見た戦国時代の日本が描かれている。これ、爆発的に面白かったので引用したい。
耶蘇会日本通信」によれば、オレの郷里の偉人である空海はこうだ。

高野と称する所に坊主の僧院多数あり。其の創立者はコンベンダーシ(弘法大師)と称し、行ひたる所に徴すれば人間にはあらず、寧ろ悪魔なり。

まあ空海は当時にしてもけっこう昔の人で、その人間離れした逸話を聞けば宣教師ならずとも「天才…だが悪魔の所業っ…!」と思っても不思議はない。イエズス会士が空海を悪魔呼ばわりしているこの記述は、逆に空海の凄みを増しているようにオレには思え、悪い気はしない。異能っ…悪魔じみているっ…!

それでは宣教師が出会った同時代人の中で、圧倒的な存在感を示したのは果たして誰だったか?

尾張の王ノブナンガ(信長)と称する人に付少しく述ぶべし。(中略)
此の尾張の王は、年齢三十七歳なるべく、長身痩躯、髯少し。声は甚だ高く、非常に武技を好み、粗野なり。正義及び慈悲の業を楽しみ、傲慢にして名誉を重んず。決断を秘し、戦術に巧にして、殆ど規律に服せず、部下の進言に従うこと稀なり。彼は諸人より異常なる畏敬を受け、酒を飲まず、自ら奉ずること極めて薄く、日本の王侯は悉く軽蔑し、下僚に対するが如く肩の上より之に語る。諸人は至上の君に対するが如く之に服従せり。善き理解力と明晰なる判断力を有し、神仏其他偶像を軽視し、異教一切の卜を信ぜず、名義は法華経なれども、宇宙の造主なく、霊魂不滅なることなく、死後何物も存せざることを明に説けり。仕事の処理は完全にして巧妙を極め、人と語るに当り猶予曲折を悪めり。諸侯と雖も其前に出づるに当り剣を携ふることなく、彼は常に二千余の騎馬の小姓を引率せり。

これにはメチャクチャ興奮した! 凄い、凄いぜ凄すぎるぜええええええええと思わずゴロゴロゴロゴロ転がりそうになったが仕事中だったのでやめておいた。
何が興奮するって、これを書いたのは歴史の先生や研究家ではなく、同時代を生きて信長と直に対面したポルトガル人宣教師なのだ。この本の中に、同時代の日本人をこれほど精緻に描写したくだりは他にない。彼が信長の圧倒的なカリスマ性にビビッてたじろぎ、心を奪われたさまがよく判る。
数多いる戦国武将の中でも、織田信長だけは別格とする人、つまり「織田だけはガチ」と言って憚らない人は多い。信長幻想はますます膨らむばかりである。

耶蘇会士日本通信 (上巻) (異国叢書 (第12巻))

耶蘇会士日本通信 (上巻) (異国叢書 (第12巻))