2/26 PRIDE31

勝った勝った高阪が勝った! と素直に喜べぬのが寂しい。スペーヒー先生にも高阪にも、どんな傷もつけたくなかった。
今のPRIDEでは、いかに巧みなヴェテランであっても戦略あるイキのいい若者と当たったらもういけない。スピードと運動量に劣る中年は勝てないようになっておるのだ。そんな時代に組まれたスペーヒー対高阪、思うにこれは久々にヴェテランの味ってやつを堪能してくださいねというカードであった筈なのだ。しかし実際には、この職人対決でさえ殴りっこで勝敗が決してしまう。いいパンチをどっちが先に当てるかの、後先の勝負になってしまう。
2人は勿論、身を削って必死で闘っている。オレは2人を尊敬している。この試合に不満を漏らすオレはバチ当たりだ。しかしねえ、オレはやっぱりコピィロフ対ズーエフみたいなゴキゲンな試合が観たかったなあ。高阪とスペーヒーがパンチで決着って、それ誰が観たかったんだろうか。それ観て誰が幸せになったんだろうか。
結局オレはまたしても「ガチンコは人を幸せにしない」と呟くのみだ。
素材の味をまっすぐ味わいたいのなら、畑から大根を引っこ抜いてそのまま食えばいい。それが一番うまい筈だ、うまいに決まってるという理屈だ。しかし現実には、時にまずい大根に当たったり、葉っぱしか抜けなかったり、虫が食ってたりするわけですよ。そういう時でも「これが素材の味なんだから」と念仏唱えて、醤油もかけずにガリガリかじらんといかんのだろうか。
そこはそれ、当たり外れのある大根でもうまく調理することによってそこそこ食えるようになるんではないかと。ホラおでんにしたり漬物にしたり大根おろしにしたり、いろいろあるでしょうが。それは素材の味をごまかしているとも言えるんだけど、当たり外れのある素材をうまいこと調理することによって、大根は実際にうまくなるし皆さんも喜ぶのだ。それこそが人類の進歩と調和であり世界の国からこんにちはではないのかと、わたくしは最近そう思うのです。要するにこのままPRIDEが進化を続ければ100年後にはプロレスになっているのではないかと、わりと本気で思っておるわけです。
オレは今日ショーグンが骨折したりハリトーノフが脱臼したりするのを見て、あー大根を生でかじってるとこういうこともあるよなあと思った。気の毒だった。おでんにして煮込めばいいのにと思った。田村はちょっと調理の仕方が思いつかなかったけど。