「ゼロの使い魔」

最近多いらしいライトノベル原作のテレビアニメ、10話まで一気に観る。なるほどティターンズアニメだが、いやしかしむしろこれ腑抜けた「家畜人ヤプー」のように見えたなあ。オレは「ゼロの使い魔」原作をまったく読んでおらず「ヤプー」も序盤で挫折したので大きなことは言えないのだが、このアニメにおける「階級」とは視聴者がよりボッキするためのアイテム(それも安易なアイテム)でしかないように思う。つまりボッキさせることにこそ最高の価値を置く商品であって、物語としては別段さしたるテーマもメッセージもない他愛ないお話のアニメである。
そしてそんな他愛ない話に「貴族」だ「平民」だという穏やかでない概念が無邪気に当たり前のように出てくるからこそ、心ある視聴者はギョッとするのだ。
これを右も左も判らない年若い少年たちが観たとき、もしかしたらルイズ(貴族の美少女)に萌えるあまり「ボクちゃんも貴族の美少女さまに踏まれたい! ムチ打たれたい!」などという奴隷的精神に目覚めてしまうやつもいるかもしれぬ。それはそれでいいんだけど、ここまで露骨なのはどうも、あんまりうまくないと思うなあ。深夜アニメに高潔な倫理感を求めるわけではないが、このアニメの中に階級差への気の利いたカウンターパンチなど当然一切見当たらず、かといって「ヤプー」のようなハードコアなE.C.fuckin'W.魂もなく、オレのようなおっさんは「あー、こういうボンヤリしたのってあんまりよくないんだよなあ…」と呟くのみである。
ゼロの使い魔」のパクリ元のひとつであろう「ハリー・ポッター」シリーズもカースト的な階級ピラミッドを思想的背景に持つお話だったが、ここまで露骨かつ無邪気に誇張されてはいなかったと思う。どうか世の青少年たちには、貴族の美少女に踏まれたいなどと無自覚に思わず、せめて自覚的に踏まれたいと思っていただきたいなあと思う。