宮崎駿とプロレス

宮崎駿のサスケ問題」に、まずまずの結論を得ることができたので書いておこう。

おさらいするとこの問題とは、1995年7月15日に公開された映画「耳をすませば」の学校のシーンでガヤの男子生徒が「おい昨夜のサスケ見たか、オレ感動した!」という場面があり、この台詞が1994年4月16日の両国国技館新日本プロレス「SUPER J-CUP 1ST STAGE」におけるザ・グレート・サスケの奮闘を指してのものではないのか、という映画史的に極めて重要な疑惑のことであった。

なんのことはない、宮崎駿が切った絵コンテに答えはあった。


(ト書き) となりのA格闘技狂が何かはなしている
(台詞) A オイ ゆうべのサスケみたか すげえんだ オレは感動した
(台詞) B ガハハハ

これでもう間違いあるまい。

耳をすませば」は監督こそ近藤喜文ではあるものの、これはディレクションのみと考えてよかろう。宮崎駿はクレジット上で脚本*1・絵コンテ・製作プロデューサーとして表記されており、やはりこれはほぼ宮崎駿支配下で作られた映画と言うべきだ。

つまり世界に名だたるアニメーション監督である宮崎駿は1994年4月のある深夜、テレビ朝日で放送された「ワールドプロレスリング」を観ていたのだ。そしてサスケがライガーにウラカン・ラナで勝つのを観て炎上したのだ。決勝でワイルド・ペガサスに雪崩式サイドスープレックスを喰らって負けたサスケを観て興奮したのだ。メチャ感動しておったのだ。その記憶が、この男子中学生Aの台詞に結実されたのに間違いないのだ。そうに違いないのだ(ドン!)。

宮崎駿といえばテレビなんかニュースかNHKスペシャルぐらいしか観てなさそうなイメージがあるが、よりにもよって新日を観ていたとは意外であった。オレが思うのは、なぜこの台詞の元ネタであるザ・グレート・サスケはすぐに何らかのアクションを起こさなったのか、ということである。サスケのバイタリティーならば、すぐさまジブリに乗り込んで宮崎駿と対談のひとつぐらいカマしてもよさそうなものだ。そんな機会があれば、そりゃもう夢は膨らみますよ。「宮崎駿にUFOの存在を熱弁するサスケ」、「宮崎駿を夜の色街に誘うサスケ」、「みちのくプロレスの会場でゴザに座って観戦する宮崎駿」、「ヨネ原人とウェリントン・ウィルキンスJrの場外乱闘から逃げ惑う宮崎駿」などの奇跡的シチュエーションが実現したかもしれないのだ。ああ、なんと勿体ないことだろう。

宮崎駿作品とプロレス(或いは格闘技)の関係を、とりあえず思いつくまま洗っておこう。

宮崎駿は好きなものを工夫なしにそのまま画面に出すような作家ではない。格闘場面は非常に洗練されたアニメーション表現・キャラクター表現に昇華されており、例えばこの場面のこれがあの格闘技のこの技のことだぜヒャッホウ! などと決めつけるのは不可能に近い。

ただ「カリオストロの城」では、次元がルパンにコブラツイストを極めていた。それは実にアニメ的なデフォルメのなされた摩訶不思議なコブラではあったが、あの場面は絵コンテにどう表記されていたのだろうか。ルパンは「ノオー、ノオー」などと耐えたのちにギブアップの意思表示までしており、これがダチンコ同士のプロレスごっこを描いた場面であることは間違いない。

未来少年コナン」では、コナンは足の器用な少年であるがゆえに格闘でも足技を多用した。

天空の城ラピュタ」の親方と海賊は産業革命時代のブルーカラーアウトローの文化的背景を背負い、ジョン・ウェインよろしく一発ずつ殴りあってみせる。

紅の豚」のイタリア豚とアメリカ人の決闘では、衆人環視の中でラウンド制まで再現されたボクシングの形式が頑固に守られる。

もののけ姫」で怪しげな組織に属するジコ坊は、下駄に隠した刃物をふるう非常に特殊な体技でアシタカを襲う。

どのケースでも「その格闘がなぜこのように描かれるのか」という理由には極めて妥当な裏づけがある。そして場面が「格闘そのものの面白さ」に偏りすぎぬよう、かなり注意深く扱われてもいる。宮崎駿が暴力表現に自覚的な作家であることは、今さら言うまでもないことだ。

オレが特に「耳をすませば」の件に引っかかっていたのは、それって別にサスケじゃなくてもええとこですやん、というツッコミがここだけは成立するからだ。だって脇役のガヤですよ。観客次第で引っかかりのある固有名詞なんか、出さない方がいいに決まってる。「オイゆうべのプロレスみたか」で充分成り立つ場面なのである。だからこそ、いやー宮崎先生サスケに感動したんですねククク、いやオレもあん時は感動しましたけどね、そうですか先生もですか、という妙になまあたたかい気分に浸ってしまうのであった。なあ宮崎!

*1:ただし「脚本」の表記には疑問が残る。宮崎駿はほとんどの場合、劇映画の脚本をシナリオ形式では書かず、いきなり絵コンテを描いてしまう。そしてコンテが半分もいかぬうちにレイアウトだの原画だの動画だのの作業も開始される。コンテ作業のやり直しがきかない状態で火の玉のように突き進み、それでもなんとか辻褄を合わせて仕上げてしまうのが通例だ。こんなメチャクチャをやれるのはさすがアニメ界の人間発電所宮崎駿ならではなのだが、結局のところ脚本が存在しないケースがほとんどなのである。そんなわけで宮崎映画には版権上の理由を除けば脚本のクレジットはいらんのではないか、という気もするのであった。