今頃になって「ひぐらしのなく頃に解」

同人ゲーム「ひぐらしのなく頃に」をやった今年の2月はそれなりに忙しかった時期で、面白いなー怖いなーでもなげえなーしんどいなーと思っていた。
最近はヒマなので毎日チビチビ「ひぐらしのなく頃に解」をやっていた。相変わらず膨大なテキスト量なのでしんどいのだが、以前より時間に余裕があるせいか面白く感じる。
そして今日ついに終わらせた。思えばこのゲームを始めたときにはまったく思いもしなかった、思わぬ部分での深い満足を得ることができた。総合して考えるにこれはやはり決してバカにできない、むしろ敬意さえ感じられる傑作であったと思う。
オレ個人のイメージではそもそも昔、物語の王様とは小説だった。なにかを物語りたいと思うやつはみんな小説を書いた。しかしいつからか、そうとも限らなくなってきた。かつてなら小説を書いていたであろう才能は、映画やマンガにも向かうようになった。ふと気づけば、それはアニメだのゲームだのライトノベルだのエロゲーだのにも広がっている。オレは文壇の人間ではないので、これを才能の流出とは思わない。むしろ「物語」を面白がれる媒体が増えるんだからいいではないか、いいではないか(「息子」の永瀬正敏のマネ)と思う。
ひぐらしのなく頃に」は基本的に分岐のないサウンドノベルで、テキストをそのまんま全部印刷すればそこそこ分厚い本数冊分になるだろう。しかし、これが小説という形式であったならオレは最後まで読んでいなかったと思う。こんな安っぽい文章の小説なんか読んでられねえと感じただろう。「ひぐらしのなく頃に」は、ゲームという形式の中でこそ最も輝くように作られた「物語」だったのだと思う。これは「ひぐらし」に限らず、およそ「物語」を扱う様々なジャンルにおいて当て嵌まりうる話だろう。
「物語」という大昔からある娯楽が、思ってもみなかった様々な側面や可能性をいまだに見せ続けていることには本当に驚かされる。
ちなみに「ひぐらし」を最後までやってみたから言えることだが、やっぱり一番怖かったのは第二部「綿流し編」の電話のシーンだなあ。あれはマジでビビった。小便チビった。
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