「ヘーシンクを育てた男」 真神博

ヘーシンクを育てた男

ヘーシンクを育てた男

アントン・ヘーシンクを育てた柔道家、道上伯の一代記。まったくノーマークだったが、いやこれはド凄いノンフィクションだった。なにしろ現在の柔道がなぜこうなってしまったのか、その答えが書いてあるのだ。
Wikipedia - 道上伯
道上伯物語
道上伯という骨太な人物の魅力でぐいぐい読ませるが、この本の白眉はなんといっても国内と海外それぞれの柔道界の歴史を語った部分である。戦前、戦後と歴史の中を生き延びて、今もなお国内で圧倒的影響力を持つ講道館。この本で描かれるその実像は、柔道といえばアレだろ講道館なんだろ、と無邪気に思っていたオレにはかなりショッキングだった。ズバリ言って、武道であることをやめてただの歪なスポーツに成り下がった「JUDO」が生まれた責任の大半は、嘉納治五郎亡きあとの講道館にある。これがオレには驚きだった。
柔術と柔道の相克、政治的暗闘。大日本武徳会の興亡をめぐるイデオロギー闘争。武道の抹消を目論む占領軍。講道館全日本柔道連盟のこのうえなく歪な、異常な関係。「段」制度にしがみつく講道館の利権構造。柔道の本家であること、宗家であること、家元であることにアグラをかき続けた日本、講道館、嘉納家の無策。
道上伯は生涯を通じて、講道館とはほぼ無縁の柔道家だった。道上は武専(武道専門学校)の出身であり、武専を作ったのは大日本武徳会だ。嘉納家の世襲のうちに惰眠を貪る講道館全柔連を尻目に、道上は戦前の武専で学んだ、本物の武道たる柔道だけを持って欧州に渡ったのだ。その生涯の凛として美しきこと、凄まじい気骨を持つ柔道家である。海外において武道柔道を貫きヘーシンクを世に出した道上と、日本において武道を忘れた講道館の対照は、戦後のこの国の姿を象徴しているようでなんだか悪夢じみた構図だ。
勿論、この本だって鵜呑みにはできぬ。できぬが、道上伯のような日本人がいたことを知れただけでもこの本を読んだ意義は大きかった。これほど誰彼構わず読んでみろとすすめたくなるような本は久しぶりだ。読みやすくはなかったけど。