「あしたのジョー」と出崎統

EMOTION the Best あしたのジョー2 DVD-BOX 1

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しばらく前にニコ動なんぞでアニメーション「あしたのジョー2」を観たところ異常に面白く、わたくしは驚いた。そもそもオレは「ジョー2」を好きではなかったのに。あんまり驚いたので、DVDを借りて観直したりしている。
オレはちばてつやと高森朝雄(梶原一騎)によるマンガ「あしたのジョー」がもともと好きで、どれぐらい好きかというとオールタイムのマンガベスト5を選べば当然入ってくるぐらいで、もはや好きというよりは崇拝に近い感情なのだが、アニメーションについては微妙な感覚を抱いていた。
虫プロの「あしたのジョー」は好きだった。あれには原作にあった空気が、匂いが画面に息づいていた。アニメ「あしたのジョー」は放映中に原作の連載に追いついてしまったため、カーロス戦までで終わっている。
東京ムービーによる「あしたのジョー2」、これがオレは好きではなかった。絵がきれいすぎることに違和感があったし、登場人物が皆カッコつけすぎているように思えた。そして何より、出崎先生の演出が鬱陶しかったのだ。
1970年に虫プロ「あしたのジョー」でデビューした監督・出崎統は、「ジョー2」が放映された1980年にはすでに大監督だった筈だ。なにしろこの10年間で作ったのが「エースをねらえ!」「ガンバの冒険」「家なき子」「宝島」「ベルサイユのばら」などという神っぷり。「ジョー2」なんてねえ、もう出崎演出バリバリですよ。3回パン、止め絵、ハレーション。あと光るゲロ。透過光の。
昔は不快だったこれらのコテコテ出崎演出が、なぜか今観てみるとかなり受け入れられる。原作と比較しての違和感は相変わらずあるのだが、それでもなんだか許せてしまった。むしろ好きだと思った。
これはなぜかとつらつら考え、思いついた理由は2つ。
簡単な理由から書くと、まずそもそも現代にはこれほど男らしくカッコいいアニメはまるでない。なんというかもう、まるっきりない。だから「ジョー2」をいいアニメと感じたという理屈だ。時代の変化が「ジョー2」を魅力的に見せた説。
しかしねえ、当時のオレは子供心に「ジョー2」の過激なセンチメンタリズムを「女々しい」とさえ思っていて、夕方に再放送していた虫プロの「ジョー」の方が好きだったのだ。もっと言えば、夕方再放送アニメなら「タイガーマスク」がいちばん好きだったのだ。そんな「ジョー2」が男らしいアニメに見えてしまうのも時代だなあと思うが、それでも「ジョー2」の本気っぷり、気合の入り方には目を見張るものがある。作り手がジョーに本気で惚れているのは、疑いようもない。
2つ目の理由は、作り手の目線の変化にオレが気づいたことだ。
虫プロ「ジョー」は、原作マンガ連載中に放映していたアニメーションだ。つまり、出崎先生も「あしたのジョー」というマンガがどういう結末を迎えるか、全然知らないままに作っていたのである。他のスポ根ものと同様、このアニメは当然のようにヒーローの目線、いやこの作品の場合はダーティー・ヒーローと言うべきか、主人公・矢吹丈の目線で作られている。出崎先生はジョーになりきって力石と闘い、カーロスと闘った。
しかし「ジョー2」が作られたとき、原作はとっくに完結していた。ジョーは燃えた。真っ白な灰になった。あのラストシーンを、すでに日本中が知っていた。オレの想像だが、「ジョー2」を作るにあたって出崎先生はビビったんじゃないだろうか。ジョーの生きざまに真摯に向き合った結果、自分がジョーのようには生きられないことをはっきり悟ったのではないか。そして真摯な演出家であるがゆえに、もうジョー目線でアニメを作ることができなくなったのではないだろうか。
いったい、ジョーのように生きられる人がどれほどいるだろうか。ジョーの生きざまに憧れ、しかしジョーのようにはなれない人がほとんどだろう。「ジョー2」は、ジョーに憧れる出崎先生の目線で作られたジョー賛歌だ。本気でジョーに憧れ、恋焦がれているからこそ、ジョーを過剰にカッコよく描く。感傷に溺れることも厭わない。
おっさんになった今、オレには出崎先生のセンチメンタリズムがよく判る。そうだ、どんなにジョーに憧れたって、オレはジョーのようにはなれない。子供の頃はそんなこと、思いもしなかった。なれると思っていた。だから「ジョー2」のセンチメンタリズムを、女々しいと感じていたのだ。しかし今にして思う、それは女々しさとは、ちょっと違うんだ。今のオレから子供の頃のオレに向けて言いたい、オレはジョーになれなかったよ。ジョーどころか西どんにもなれなかったよ。出崎先生と共にジョー賛歌の感傷に溺れることを、どうか許してくれ。
思えば、原作からしてそうだった。力石戦までは完全にジョー目線だった物語が、だんだんといつしか葉子やおっちゃんの目線から見るジョーの物語になっていった。ジョーの心情はどんどん見えにくくなっていき、しかし物語の吸引力は落ちるどころか強くなっていった。ホセ戦の前、ジョーがパンチドランカーなのか否か、それを本人が知っているのかどうかわからないあたりは、ジョー目線ではありえないサスペンスだ。最終的にジョーは、ちば・梶原の神々の手からも離れて、「向こう側」へ行ってしまった。およそすべての男どもが一度は憧れ、しかし行くに行けぬ彼岸。力石がいる彼岸。
この目線説を裏づけるのが、アニメの主題歌だ。虫プロ版「あしたのジョー」の唄はジョー目線、段平目線、力石目線だったが、「ジョー2」になると他者としてジョーを謳いあげる出崎目線が登場する。「ジョー2」のED「果てしなき闇の彼方に」、後期OP「MIDNIGHT BLUES」、劇場版「ジョー2」のED「青春の終章(ピリオド)〜JOE…FOREVER〜」など。おっさんになった今、「果てしなき闇の彼方に」は沁みるんだよなあ…

荒木一郎/果てしなき闇の彼方に (1981年)

あしたのジョー2 劇場版〈ニュープリント版〉 [DVD]

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