「崖の上のポニョ」感想

時間がかかったけど、ようやくCinemaScapeに投稿した。そのまま転載します。

どう見ても精子です。本当にありがとうございました。(★4)


崖の上のポニョ』を観て、もう本当のことを書かなくてはならないと思った。


我々が宮崎アニメを愛した理由、それは「快楽」だ。宮崎駿のアニメーションは、我々の欲望を銀幕に解放してくれた。宮崎駿は不世出の天才アニメーターであり、類稀な物語作者で、凄まじい演出力を持つ映画監督だ。彼の出力する映画の快楽たるや尋常ではなく、我々はヤク中のようにその快楽の虜になった。宮崎アニメはポルノなのだ。


その一方で、宮崎駿は言い訳もメチャクチャうまい。いろいろ立派な能書きだって映画に盛り込む。快楽の洪水で観客がうしろめたくならないよう、配慮も抜かりない。ゆえに宮崎アニメは、一見ポルノには見えない。それをいいことに、我々は宮崎アニメの快楽に溺れながら表向きは「これは立派なテーマを持った立派な映画です」ということにしてきたし、宮崎駿本人のことも「なんだか立派な人」ということにしてきたのだ。そのこと自体がウソとは思わない。しかし世には宮崎駿以外にも立派な監督はいるし、宮崎アニメ以外にも立派な映画はゴマンとある。それなのに宮崎アニメだけがバカみたいにヒットする。


我々はもう何十年も、自分にウソをついてきたのだ。快楽の塊を、いやこれは体にいいお薬ですよだから飲むんですよゴクリゴクリと言い張ってきたのだ。このアングルに日本中が乗っかったために、宮崎アニメは異常なヒットを続けた。それが、近年の明らかに狂った作品でも宮崎アニメが大ヒットしてきた理由だ。建前のエスカレートは留まるところを知らず、ウソも続ければホントになり、偉きゃクロでもシロになる。いまや宮崎アニメはすっかり日本国民の義務教育と化してしまった。


この「日本人がみんなで自分にウソついて宮崎アニメを大ヒットさせている」説、オレはまず間違いないと確信しているものの、反対なさる方も多かろう。だがオレだって、こんなことは稀有な現象だと思っているのだ。しかしもっと稀有なことがあって、それはたとえ我々観客が自分にウソをついて宮崎アニメをヘンな形で持ち上げ続けても、宮崎駿自身は作家としてウソをつかずにポルノを作り続けてきたということだ。これは特筆すべきことで、オレなんか宮崎駿の最も立派なところ(そして最も狂っているところ)はここだと思うのだが、前作『ハウルの動く城』あたりでそれもなんだか怪しくなってきたなあ、などと思っていたら『崖の上のポニョ』が公開されたので観てみた。


疑いようもなく作家の映画、作家がその魂をこめて正直に作った映画だった。そして、実に面白い映画だった。だからよかった、ひと安心かというとさにあらず、わたくし非常に興奮し、戦慄を覚え、最終的にはなんだか泣きたくなった。


今までの多くの宮崎アニメは、作家・宮崎駿と共に一緒に飛んでるような気にさせてくれた。今回は宮崎駿だけが高く高く飛んで、それを地べたで見上げているような気分だった。言い換えれば、今までは宮崎駿が「これはヌケる」と描いてきたものでオレもヌケたのだけど、今回はヌケなかったのだ。今回も宮崎駿は正直に「自分がヌケるポルノ」を作っているのだとオレは信ずる。ただオレの欲望と宮崎駿の欲望の間に、決定的なズレが生じたのだ。この映画で宮崎駿が意識的に捨て去ったものを、やはりオレは求めてしまう。フィクションにおけるある程度の「整合性」や「解決」「倫理」はやはりオレにとって必要で、それはなぜ必要かというと、そのほうがヌケるからだ。気持ちいいからだ。しかし宮崎駿は「そんなもん不要だ」と高らかにシャウトしたのだ。


映画を観てて思ったヨタを書きますと、所ジョージがポニョを捕まえて「いつまでも幼く無垢でいればいいものを」とか言うでしょう。ずいぶん露骨なことをおっしゃるよウヒヒとか思ってたら、どう見ても精子っぽいポニョの妹たちがワラワラやってきて、ポニョが守られているなにやら膜みたいなものをバッチーン破ってポニョがワッホーイ飛び出すんだけど、これは凄すぎるだろ常識的に考えて…この場面は普通にはっきり処女の喪失、幼年期との決別を描いていて、宮さんはこれで存分にヌケるんだろうけどこの描写は正直ぼくにはマニアックすぎるわけです。ヌケないわけです。その後のポニョの暴走なんか凄まじいハードコア・アニメーションで描かれてて確かに気持ちはいいんだけど、もう魚の形をした大波の奔流もオレにはなんだかチンコにしか見えない。チンコ波の上を疾駆する幼女、この驚愕の映像は天才にしか作りえないものだ。


母親は我が子を性の大波から遠ざけようとしてて、宮崎アニメの法律に則って高い所へ逃げてゆき、安心の我が家に辿り着いて早く我が子にトトロのDVDでも観せようと思ってる。ところがポニョは堂々と崖の上までやってきて、迷わず少年にしがみつく。少年もポニョをポニョと認め、ここにきて母親もバカ負けしてラーメンなんか食わせたりする。あの女性はこの日、女からオカンになったのだろう。それ以前は旦那が帰ってこないイライラ(セックスできないイライラ)を息子の前でさらけ出す、オンナオンナした女性として描かれていた。


崖の上のポニョ』は、このようなヨタを全編にわたって飛ばせる「語れる映画」だ。キリがないのでこれぐらいにしておくけど、はっきり言って狂ったおじいちゃんがチンチン丸出しで往来を走り回っているような映画である。オレは、今さらおじいちゃんにビンタして正気に戻そうとは思わない。宮さんのことはかつて本当に尊敬していたし、今でも本当に尊敬しているし、今でも宮さんの全裸は最高に面白いと思っている。でも、もう宮さんと同じものではヌケないんだ。それは、宮さんが高く、高く飛んだからなんだ。だから言えることは、ひとつしかない。今まで本当にありがとうございました。


今まで本当にありがとうございました。