少年野球の世界を覗く

先日、わけあって少年野球の練習を見物する機会があった。オレはおよそ体育会系的なものを身をよじって避けてきたゾンビ人生だったので、少年野球なんてものはまったく未知の世界である。

なんでも東京近隣の某県の米軍施設の敷地内にはアホほど沢山グラウンドがあって、土日はそのグラウンド全てが少年野球で埋まるそうだ。電話で話した少年野球チームの監督いわく、彼のチームはそこのグラウンドで毎週土曜、朝から日暮れまで練習してるという。それから毎週日曜にも、朝から日暮れまで練習しているという。口にこそ出さなかったもののオレは驚愕した。いったいどんだけ野球好きなんだよ。小中学生の少年たちが余暇のすべてを犠牲にして、打ったり投げたり走ったりの練習に明け暮れているというのはオレの感覚からすると実に異常な出来事に聞こえるのだが、監督は当然といった口ぶりであった。

数日後の土曜、某県某所の野球グラウンドへ赴いた。そこにはユニフォームを着た少年たち以外にも、驚くほど大勢の大人たちがいた。少年たちの親御さんであろうお母さん方と、監督をはじめとする少年野球の指導者たちである。この指導者たちは毎週土日、少年たちに野球を指導しているのだ、無償で!

指導者のひとりであるおっさんと話す。少年野球といってもなかなか複雑な世界で、今はいろいろなリーグが乱立する多団体時代。それぞれのリーグにアホほど沢山のチームが所属して、日夜しのぎを削っておるらしい。全リーグの頂点を決める大会がジャイアンカップで、これは東京ドームで決勝戦を行なうらしい。そう語るおじさんの顔は実に無邪気で楽しそうであり、もしオレの心が澄みきったスカイブルーだったなら微笑ましくかつ爽やかな世界だなと思ったかもしれない。

しかしオレの心は醜くドス黒く捻じ曲がっているので、全然そうは思わなかった。

オレにはおっさんが少年野球の指導を、自分自身の娯楽としてもの凄く楽しんでいるように見えた。セガの「プロ野球チームをつくろう!」を現実においてプレイしているかのように見えた(本当は現実の野球チーム作りをゲーム化したのが「やきゅつく」だから話はアベコベなんだが気にしない)。つまりおっさんはただ自分が面白くてたまらないから自分の欲望のままに野球の指導をしているのであって、ここに「教育」だの「青少年育成」だの「子供のために」だのといった概念を見いだすことは難しいと感じたのだ。だってノック打ってるコーチなんかすげー楽しそうで、ちょっとニヤけてんだもんなあ。

少年たちはどうかといえば、これは様々である。素人目に見ても明らかに野球がうまいやつは所作もサマになっており、楽しそうで充実しているように見えた。一方で、あーこいつなんとなく連れてこられちゃったんだなと思わせる子も少なくなかった。どこかボーッとしてて、消極的なんだけど、周りに合わせてなんとなく野球チームに入っている少年たち。彼らに「安西先生…野球が…したいです…!」というような強烈な意志は微塵も感じられないのだ。なんだか胸が痛くなった。

少年野球に、教育的効果が一切ないとは思わない。子供たちは学校以外の社会を知り、礼節を知り、努力し、経験を得るだろう。チームワークというものも学ぶかもしれないし、勝ったり負けたりで喜びも悲しみも幾歳月、人生は豊かになるのかもしれない。

だが一方で、オレはここにひどくいびつなものを感じるのだ。ノリノリすぎる大人たちに辟易とするのだ。彼らは野球を通じて子供たちの教育に貢献している一方、自分の欲望のために子供に野球を強制しているという側面がありはしないか。こう言うと「強制なんてしてない!」と言われるんだろうけどなあ…そりゃあ親や監督から「おいヨシオ! お前野球好きだよな! 野球面白いよな!」と言われて「いや、好きじゃないのに無理矢理やらされてるんですが何か?」と答えるヨシオはあんまりいないと思うけど、だからって強制じゃないとは言いきれないと思うなあ。野球バカのお父さんがいる家庭なら、小学生の息子を野球させる方向に誘導することぐらい楽勝じゃないのかなあ。ま、このへんは非常に難しいところではあります。

ド素人が一日少年野球の練習を見物しただけで何が判るんだよと言われればそれまでだが、一日見物したド素人の印象としては、これ虐待ではないにせよ、虐待とまったく無縁の世界には思えなかった。少なくとも虐待と地続きの、きわめて危うい世界だと感じた。ロリコンは何もしてなくても無条件で犯罪者扱いされるが、少年野球の指導者は立派な善意のボランティアとされる。しかし少年野球においても大人の欲望のために子供が犠牲になるケースが存在するならば、その構図はほとんど同じではないだろうか。特にオレの胸をざわざわ騒がせるのは、完全に野球を信じきっている彼らの顔だった。スポーツへの全幅の信頼、健全なる何かへの信仰が、正直言ってオレには気持ち悪かったのだ。

オレの父は野球好きの巨人ファンだった。一方オレは物心ついてからこっち、野球に興味を持つことなくプロレスにのめりこんでいった。しかし野球を強制されたことはない。誘導らしき言葉さえ一度もなかったと思う(あったかもしれないが覚えてない)。これについては感謝している。