武田惣角の本の著者さんと激アツトーク

以前、「合気の発見」という本を読み、このはてなダイアリに短い感想を書いたことがある。
最近読んだ本 - 挑戦者ストロング
すると先日、その本の著者の方が直接コメントをくださった。けっこうぞんざいに書いた感想だったので恐縮したのだが、滅多にない機会と思い、何度かやりとりをさせていただいた。実に面白く、いろいろ考えさせられるエキサイティングな経験だったので、以下に本の感想とコメント欄を再録します。

最近読んだ本 (2009/10/22の記事)

合気の発見―会津秘伝 武田惣角の奇跡

合気の発見―会津秘伝 武田惣角の奇跡

取材に基づく武田惣角伝。といっても惣角の一生を知るにはもはや取材では限界があり(大東流合気柔術の成り立ちからして怪しく、ほとんど判っていないのだ)、ほぼ創作といっていい。若き野口英世と邂逅する場面など楽しい。
後半に合気解明パートがあるのだが、著者は霊能力と超常現象をもって説明するしか手がなく、まるで解明になっていない。武田惣角の強さの理由がただ単に超能力であるなら、そもそもオレが憧れはしないのだ。

池月映  2010/03/29 18:07
「合気の発見」の著者です。売れるようにおもしろく書くのがプロ作家なのでしょう。
秘伝という武道誌2月号に、武田惣角の遺稿集がのりました。神通力(超能力)が書いてあります。昔から僧侶・修験・神官・武芸者・忍者は、気を鍛錬して超能力を身につけました。念力で、ネズミを気絶させたり、金縛りで相手を身動きできなくしました。今では「気」を練ることで可能なことがわかりました。ホームランの王選手、イチロ−、松井も気をうまく使ってます。弘法大師は念力で護摩(細木)を燃やし、これまで三人しかいない。武田惣角は、武術家で初めてヨガ密教を修行して挑戦したのです。合気は序の口かも。今は西洋科学しか教えないから、気の世界が理解できない人が多いのかもしれません。私の作品は、一般の方よりも、多くの著名な武術家から喜んでいただきました。私のHPをご覧ください。
http://ikezuki.sakura.ne.jp/

Dersu  2010/03/30 20:32
まさか著者の方にコメントをいただけるとは、想像もしませんでした。汗顔の至りです。仰る通り私は古武道に講談的な面白さばかり求めておりまして、綿密な取材のうえに書かれた作品への放言、平にお許しください。
ただ、私は「超能力」が存在するとは信じません。あるとしても、それはただ余人の知らない「能力」に過ぎぬと考えています。古武道の達人の強さは、素質と修業によって開花した現実的な技術やコツの集成である、是非そうであってほしいと思っています。なぜなら、その方がカッコいいと私が思うからです。いつか、合気の神秘が西洋科学並みに平明に言語化されればいいなと思います。ありがとうございました。

池月映  2010/03/31 20:39
気というのは西洋科学では証明されておりません。占いが当たったり、医者で治らない病気が治ったり、新興宗教、スプーン曲げ、空中浮揚のマジック、犯人・行方不明探しも気の力です。人間の潜在能力はまだ解明されておりませんが、悪い方に行くとオーム真理教のようになります。歴史上の偉人は気をうまく使って超能力を身につけたことはたしかです。スポーツ界も気の能力を身につけた人が勝ちます。朝青龍キム・ヨナもそうです。真央ちゃんはまだわかっていない。気はお釈迦様、ヨガが元祖です。

Dersu  2010/03/31 23:59
自分と池月さんの感覚のすれ違いが、実に面白いですね。自分は単純に超能力者(なるものが本当に居るとして、ですが)とマジシャンでは、圧倒的にマジシャンの方が凄いと思っています。超能力者が起こすことは、ただの現象に過ぎません。マジックには種があり、種があることを知っていて尚我々を驚かせる。マジシャンは人間心理の死角で存分に腕を振るいます。それは先人が積み重ねてきた人間心理への深い洞察と高い技術、人類の叡智の上に咲く美しい花です。私は超能力よりも、マジックの方が遥かに尊いことだと思います。「強さの理由がただ単に超能力であるなら、そもそもオレが憧れはしない」と書いたのは、私はすぐれたマジシャンならば尊敬し賞賛もしますが、ただの超能力者には興味ありません、ということなのです。池月さんの仰る通り武田惣角が超能力者であるならば、私は失望します。困りました。どうしよう。

池月映  2010/04/01 17:55
どうも超能力という意味にこだわりがあるようですね。マジックは例えが悪かったかも、浮いている女性が水平になっている状態が気なのです。気の能力を10段階とすると、5ぐらいまでは誰でも鍛錬すればできる。しかし、10の空海、9の武田惣角までは佐川幸義だけでしょう。密教の身体観は肉体・気・意識(脳)で、鍛錬すれば潜在能力が発揮される。人は個人差が合って希に奇跡的な人物が生まれる。凡人は心身統一すれば2倍ぐらいの力は出るということでしょう。スポーツは気がカギです。下半身に重心を置き、上半身の力を抜き、無の境地に達することが出発点です。

Dersu  2010/04/02 01:06
私の感覚では、大っぴらに「超能力」だの「気」だのという言葉を使うのはお控えになる方がよいと思われます。たとえそれがその人にとって確かに存在し、そうとしか言いようのないものであろうとです。
合気道古武術が常に「なんか神秘的なアレだよね?」という生温かい視線に晒され、真面目な考察の対象と思われにくい現状は、長年にわたって「気」だの「超能力」だのという定義も危なっかしい言葉を無造作に使い続けた大家の先生や弟子の方々に責任があると考えます。
西洋科学を仮想敵とする姿勢にも疑問を感じます。科学が真実と認められているのは、学校で習うからではありません。限りない検証に耐えられた仮説のみを間違いのない事実と定義する、その方法論に説得力があるのです。超能力にも気にも、その説得力はビタ一文ありません。
武田惣角や佐川幸義、植芝盛平塩田剛三、武道史に名を残す達人たち。彼らがバカげて強かったのは事実でしょう。伝説の達人がUFCブロック・レスナーを子供扱いする姿を、私も見たかった。しかし、彼らは自分の強さの理由を言語化できませんでした。たとえば植芝翁は、宗教的なお言葉をたくさん残しておられます。彼はどうしても自分の強さを判りやすく説明できなかったので、神さまに丸投げしてしまったのだろう、と思います。それはそれで、魅力的な人間の姿でしょう。しかし、古武術の魅力を知る人間が言語化の努力を怠っていいとは考えません。

池月映  2010/04/02 19:33
考え方はだいたい分かりました。医学の世界では気の治療が有効であると見直されています。気の研究は特殊な分野のものでしたが、脳と関係があり西洋科学では始まったばかりで、これからの分野。指摘されるように幻覚・妄想・狂気・神秘体験(宗教)の世界でもあり、偏見で見られた時代もありました。あなたの考えは一般には平均的なものだとおもいます。私が武田惣角にこだわるのは偉人が偉人として、故郷では評価されていないことへの思いがあるからです。関係した多くの人物は流派の史実から消されていました。武田惣角植芝盛平もわかりやすく説明しなかった。現代の感覚ではそのとおりかもしれません。密教の世界では、それが掟であり書いたものは残さない、説明しない、千年も続きました。天才占い師の子孫は、欲があると高度な技術は会得できない、聖人君子の生き方でした、書いた物を残せないなら、自分と同じ能力のある武田惣角に伝えたのかもしれないと語りました。私のような凡人には理解できませんが、百年に一人ぐらい天才が出てくる世界かもしれませんね。西洋科学に恨みはありませんが、気の分野の理解が進むことを期待してます。

Dersu  2010/04/04 01:32
私も希望します。正直言って合気柔術合気道の「気」の世界にはついていけないものを感じますが、それでもたとえば東洋でよく言われるヘソの下の「丹田」というものは確かにあると感じます。西洋医学や解剖学では人体に丹田に該当する器官や場所はないとされますが、感覚的には存在するし、丹田を意識して力を入れることで運動の質は実際に変化しますね。偉い人には、そのへんのことからボチボチ解明してもらえると嬉しいですね。
名もないブログ書きと真面目に対話していただき、ありがとうございます。このコメント欄、非常に面白かったのでエントリーにまとめさせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。

池月映先生、ありがとうございました。