池袋で「映画「けいおん!」」を観てきた

新宿が混んでいたので、池袋まで足を伸ばしてけいおん観てきましたよ。観客の3分の1くらいが女性で、アーなるほど、けいおんって凄いなと思った。ハルヒの消失なんかヤローばかりの地獄絵図でしたからね。

映画 けいおん!  (Blu-ray 通常版)

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小さな「地続き」のお話(★3)
「映画「けいおん!」」は、観客がテレビシリーズをすべて観ていることが前提になっている。こういう一見さんお断り映画、昔のわたくしは「けしからん」なんて思っていたのだけど、おっさんになった今、そんな事はもう心底どうでもよくなっちまった。

けいおん!」は、映画だから気合を入れてスケール感アップ、というタイプの作品ではない。むしろ映画においてもテレビと同様の小さなお話を完遂する平常心が肝要となる。当然そんな事は作り手も重々承知で安心の普段着。英国の寿司屋なんかあんまり面白くなくて「このシーン必要か?」と思うものの、良くも悪くも「けいおん!」はテレビシリーズからこういうところのあるアニメーションなのである。

オレはテレビシリーズを観て「ハムスターを可愛がるようなアニメだなあ」と思った。スネ毛ボーボーのヤローなんか一切出てこない。小さな箱庭の中で楽しくキャッキャウフフ、しかしその時間は無限ではなく、ちょっと切ないですね、どうでしょうというアニメだった。特筆すべきはこの作品に直接的な性描写があんまりないことで、それをアニオタは待ってましたとばかりに歓迎したのである。

この映画で特に執拗に示されたことといえば、「地続きであること」だろうか。

テレビシリーズで描かれたようなキラキラした「今」はやがて過ぎ去って過去になるんだけど、その今は過去から続いてきたもので、さらに未来へ続いてゆく。映画は「今」だけを描きながらもその前後(過去と未来)を想像させて、長い長い時間が地続きになっていることを示す。空間に関してもその意図はあって、テレビシリーズの切り取られた箱庭的限定世界から飛び出して、ロンドンでもいつも通りにキャッキャウフフする軽音部を見せる。まあ空間の方はあんまりうまくいってるとは思わないけど、みんな地続きなんだよ、繋がってるんだよと小さな声で告げるこの映画、今まさに輝いているとは言い難く、輝ける場所にさえ立てていないと感じる大多数の青少年諸君にとっては、少しばかり元気づけられる作品ではないだろうか。ま、そんなん当たり前やんけで終わるような話なんだけど、「けいおん!」はそういう小さなアニメで、小さいからこそ愛された作品なんだよな。ちなみにわたくしの如きおっさんが感じたことは何かといえば、このキラキラ輝く軽音部と薄汚いオレとは全然地続きじゃない… 二次元と三次元… 死にたい… あずにゃんあずにゃん… という断絶であった。