お久しぶりです。8月後半からこっち、非人道的な環境の職場に入ってしまったので映画に行く時間どころかここにくだらない文章を書く時間の余裕もなく、労苦の多い泥臭い日常を最近覚えたパイプ煙草の芳香で煙に巻いてどうにか生き永らえております。
最近読んだ本の感想など、ダラダラと。
「1964年のジャイアント馬場」 柳澤健
- 作者: 柳澤健
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2014/11/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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我々おっさんの、と言って語弊があるならわたくし自身の歴史認識は、梶原一騎の「プロレススーパースター列伝」の中の「なつかしのBI砲!G馬場とA猪木」篇に依っている。巨星力道山、若き馬場と猪木、ダラ幹たちが彩る日本プロレス繁栄と崩壊の軌跡。力道山ナゾの差別待遇や、馬場と猪木それぞれのアメリカ遠征のくだりなど実に面白く、今でもたまに読み返したりする。これ以外の「激録 力道山」なんかの書籍は、まーサブテキスト扱いだった。
この「1964年のジャイアント馬場」がショッキングなのは、力道山を唯一神とする日本プロレス史観の外側に当時の馬場がすでにいて、アメリカの最先端プロレスの高みから時に力道山のプロレスを見下ろす視点を持ち得ていたという事実を暴いている点にある。アメリカでは力道山の評価は低く、馬場の評価は高かった。馬場の方が客を呼びゼニを稼げるレスラーだったのである。イチローよりも渡辺謙よりもジャイアント馬場なのである。恐ろしいことに、馬場の最初のアメリカ遠征って23歳ぐらいで行ってるんだよな。なにしろ馬場は17歳でプロ野球入り、22歳でプロレス入りだ。昔の人は今と比べると生き急いでいます。猪木にしても23歳とかで東京プロレス、ジョニー・バレンタインとの一騎打ちで蔵前を満員にしてたんだから恐れ入る。21世紀じゃオカダ・カズチカのプッシュが始まったのが彼が25歳の時で、若い若いと騒がれたもんだけどなあ。食ってるもんが違うからだろうか、昔と今じゃ顔つきも違う。昔から今の日本映画の役者の顔なんか見ても判るけど、今の人は顔が幼いんだよな。ま、これは別の話であった。
この本は従来の「列伝」的な史観を覆し、アメリカンプロレスのトップから島国の力道山を見下ろす若き巨人という衝撃的な馬場像を提示してみせる。そうか、事実はこういう構図だったのか… とわたくしも蒙を啓かれる思いであったのだが、しかし、しかしですね、それはそれとしましても、では少なからずフィクションを含んでいた「列伝」史観、力道山と梶原一騎が作り上げた戦後の神話にはもはや価値がなくなったのかといえば、これは違うのである。むしろ価値を増すのだとオレは思う。よくもまあシャアシャアと、あんなにも美しい「つくりばなし」半分を伝えてくれたものだと思う。現実をねじ曲げてより面白くする半信半疑の虚々実々は、プロレスというジャンルのお家芸だ。
この本は、現実だって神話にもヒケをとらぬ面白さだったのだ、と教えてくれる。それは今だからこそ可能となった「歴史の答えあわせ」だ。ある時代をその時代の外から見てみようという検証で、21世紀を生きる我々だけが味わえる甘露だ。
思えば天龍革命以前の全日本プロレスは、馬場の世界そのものだった。いつもどこか古臭く、のんびり停滞してて、ちょっとダサい。ほとんど新日と同時期の旗揚げなのに、なぜか濃厚に漂う「老舗」感。あれは馬場が若き日にアメリカで体験した、NWA黄金時代末期の残照だったのだ。我々の世代が目撃できたのは、天龍革命やターザン山本の介入以降、時代遅れの馬場が時代遅れの老人なりに「現在」にアジャストしてゆき、「馬場さん」に変化してゆく過程だった。その背景、土台には何があったのかをこの本は教えてくれる。
しかしねえ、確かに面白い本で、知らなかった馬場の情報がたくさん読めるんだけど、全然馬場を判った気になれないんだよなあ。むしろ馬場の神秘性が深まったような気さえする。馬場はその存在だけで、ひとり底なし沼なんだよなあ。
「少女の私を愛したあなた 秘密と沈黙 15年間の手記」 マーゴ・フラゴソ
- 作者: マーゴ・フラゴソ,稲松三千野
- 出版社/メーカー: 原書房
- 発売日: 2013/02/22
- メディア: 単行本
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