現実に挑む理想 「パブリック 図書館の奇跡」

映画の日だったので高松の小屋で「パブリック 図書館の奇跡」。ちなみに高松での公開日は、東京のそれから2ヶ月ちょい遅れ。ハイきた時間差! 感想は少しだけネタバレあるよ。

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The Public

公共図書館は民主主義最後の砦」、立派なセリフだ。たとえ現実がこうでないとしても、エミリオ・エステベスの心に輝く理想に胸を打たれる。 (★4)


日本にもゴロゴロあって我々もよく知る「図書館」を描いているため、アメリカと日本の社会の異質さに気づかされる。日本も民主主義ということになってて一応そういう制度になってるんだが、最近思うにこれはどうも、全然うまくいってない。それって日本人の、民主主義や自由、基本的人権などへの理解が全然なっちゃいねえからではないか、オレも含めてだけど、などと思う。


この国は基本的にムラですわな。他の村人に迷惑かけるやつは村八分、追放、殺害。プライバシーの概念なし。権利ナニそれ。オレには時々、この国が蟻や蜂などの昆虫が構成している社会のように見えることがある。それはそれで、精緻なものではある。そこでは全体に奉仕できない弱者は迅速に切り捨てられる。公園のホームレス排除ベンチなんか、絶対に30世紀の公民の教科書に載る。21世紀はこんなひどい社会だったと、未来人に軽蔑される。


そもそも戦後の憲法で言ってる「人権」ってのは、全然そんなんじゃない。オメーラ全体が弱者の人権を守って助けるんだよ切り捨てちゃあダメよと、だいたいこんな感じだ。しかし戦後何十年経っても、日本人は民主主義を理解できず、身につけることができてないように見える。最近は世の中のニュースを聞いても暗い気持ちになるばかり。夜明けは遠すぎる。


アメリカにはアメリカの現実があって大変なのだBLMなのだ永久闘争なのだとは、我々が聞く通りなのだろう。でも『スミス都へ行く』とか観るとやっぱり、アメリカの民主主義、その理想には筋金が入ってて羨ましいのう、などと思うじゃないですか。この映画もそういう映画だ。


日中、臭すぎるホームレスを追い出した件でエミリオ・エステベスは告訴される。これは他の利用者の権利とぶつかったために対処せざるを得なかった苦渋のケースだ。ならば利用者のいない夜間、凍えるホームレスが死にたくねえと図書館に居座ったとしたら、誰のどんな権利が侵害されるというのか。誰かの人権を侵害しているのは、この社会のいったい何なのか。こういう問いかけを心に残す脚本のアイデアが、本当に素晴らしい。


また、こういう映画は一夜が明けて朝が来て終わるんだろうなと思ってたら、苦みを含んだ落着を描きつつもなんと「夜が明けない」ことには驚き、感心した。鮮やかなハッピーエンドなどなく、夜明けははるか遠い。「夜が明けない」のが、この映画の表現なのだ。それだけに、シンシナティの「寒さ」を画で表現できていないのは残念だった。雪を降らせてほしかった。よほど金がなかったんだろうな。