しつこいですがまたまた「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

黒波はビンタしないやさしい子

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が公開されておよそ3週間が経った。映画は大ヒットしており実にめでたい。Twitter、感想ブログ、Cinemascapeなど、我ながら狭い観測範囲ではあるものの世間の反応を見るに概ね好評、絶賛も少なくない。気持ちよくスッキリと成仏、昇天なさった方々も多いようだ。シンエバよかったよね。よかったよな。エバンゲリオンありがとう。おめでとう(拍手)。もちろん大ヒット公開中のドサクサの最中であり、世間の反応の本当のところ、絶賛と酷評のリアルな比率はまったく判らない。ただ、わたくしの目に見える範囲では多くが絶賛。酷評はごく少数だ。

シンエバを観たわたくしはまったく成仏も昇天も解脱もできなかったので、なんだか損したような気がしている。先日の感想でも、動揺を隠せなかった。

pencroft.hatenablog.com

以下は四半世紀エバンゲリオンへのとりとめもない雑感。ネタバレあるけどもういいでしょう。オタク友達であるたかやまさん(id:atoz)と話しあった内容を多く含みます。彼の感想はこちら。

tekkmakk.hatenablog.com

ハアーお前アホか今頃になって何言ってんのプギャー、と笑わば笑ってください。笑えばいいと思うよとシンジくんも言ってました。まずこれはハッキリ書いておかねばならないんだけど、ぼかーシンエバを絶賛している方々を否定したいんじゃないです。そんな気はまったくない。本当によかったですねと思います。心から祝福します。羨ましいくらいです。むしろねたましい。なんならそねんでいる。できることならオレだって昇天したかった。でもそうはならなかった。ならなかったんだよ。

そもそもシンジくんやレイちゃんアスカちゃんといったキャラクターたちが幸せになってよかったな、ケリがついてよかったな、大往生してよかったな、和解できてよかったな、などとは全然思えないのだ。これは本当にビタ一文、微塵も思わない。自分でもアホらしくなるほど今更すぎるんだが、オレはエバンゲリオンの、いや庵野作品すべての「ドラマ」を一度も信用したことがなかった。声優がどんなに熱演したって、キャラクターが生きていると感じたことがなかった。どいつもこいつもご都合なんだ。そしてテレビ・旧劇・新劇とコスり倒してゆくにつれ、キャラクターはさらにどうにでもなる便利な人形になっていった。今回なんかご都合でどいつもこいつもベビーターン。こんな強引な展開、WWEでもやらないよ。

そもそも昔から、庵野秀明はご都合の人だった。テレビシリーズ5話でシンジくんがオヤジをディスると、レイちゃん激昂してビンタ一閃。これ、今から思えば不自然に感じませんか。レイちゃんってそんな激しいやつか? ナメた口をきくガキは即座にビンタ。お前は桃井かおりか。キャラがきちんと固まってなかったところに、美少女ちゃんからいきなりステーキ突然ビンタされるショックと恍惚を優先させたんでしょ。このくだりは新劇の「序」でも平気で繰り返されててびっくりした。そしてエバーが完結した現在、あのビンタはなんだか名場面みたいな感じの扱いになってますよ。こういう変なところはシリーズの至るところにあります。加持さんなんかテレビシリーズでは自分に惚れとるアスカちゃんを煽りに煽って戦わせる逆シャアみたいなクソ野郎だったのに、新劇場版では方舟を作って死んだ聖人みたいな扱いになってます。どっちでもうまく演れちゃう山寺宏一さんは反省していただきたい。それはそうと逆シャア最高やな。また観よう。

この方の指摘なんか、ホントその通りで。

登場人物がどいつもこいつも、どっかヨソで聞きかじってきたような心にもないことを口に出すんですよね。ハリネズミのなんとやらとか、男と女のあいだにはとか、マリリンモンローノーリターンとか。庵野作品はナディアからずっとそうで、要するに特に言いたいこともないし、もっともらしくやってるポーズを見せてるだけなんだ。そういうセリフは例外なくツルツルにスベってて、ぼかー嫌いでした。キライキライ大ッキライ! でした。

ではなんでそんなものを四半世紀も観てきたのかといえば、「アイデア満載のカッチョいいSFロボットアニメ」を一度でも期待してしまったから、としか言いようがない。だってテレビ版の前半は、そんな感じだったでしょおが。スゲー斬新なロボットアニメが始まったぜってオタク界隈は大騒ぎでしたよ。これテレ東の夕方に放送してたんだよ。オレは成人してたけど、子供だって観てたんですよ。それが1度ならず、映画になっても2度3度、論理も道理も放り出しての観念プロレス、内省アニメに成り果てた。たかやまさんは「結局、理屈も何もない車田正美マンガみたいだ」と言う。オレもそう思う。ドカベン読んでたのにいつの間にかアストロ球団にすり替わってた、みたいな目に何度も遭ってる。

以下、友人たかやまさんが語った言葉。

「春エバで、戦略自衛隊ネルフに攻めてきてガンガン殺す。ネルフの第一艦橋では、ロン毛がマヤちゃんに拳銃とか渡してる。なるほど、この司令部が占拠されたらヤバイんやな。きっと夏エバではMAGIと司令部を巡ってネルフ自衛隊との天下分け目の一大攻防戦、エバと現行兵器の怪獣大戦争が観られるんやな楽しみやなあって思ってた…」

結果は皆さんご存知の通りで、ま、わたくしもさすがにそんな期待はピュアハート、ピュアレスリングすぎますよアハハー、なんて笑ってたんだけど、では当時の自分は春エバを観てどう思っていたのか、ここで白状します。

自衛隊は殺しのプロで、戦闘素人のネルフ職員たちは抵抗できずに蹂躙される展開。なるほど… リアリティがある…」

誰かオレの心臓を止めてくださいや。夏エバでは自衛隊とかクソどうでもよくなってて、みんなオレンジジュースになった。夏エバすげえな。

テレ東夕方のおもしろロボットアニメに向けた我々のささやかな期待は裏切られた。テレビシリーズはヤケクソ、旧劇では露悪ATG路線、新劇では幸せポジティブ路線で完結した。しかし何度やり直しても判で押したように同じなのは、終盤は必ずオカルト観念SFになるという展開だ。結局、物理を無視して情緒や心象で終わらせるという基本方針はとうとう覆らなかったのだ。ちょっとイデオンとか観すぎなんじゃないですか。

庵野秀明という人はエンタメ職人として童貞が喜ぶラノベを書いてバカ売れしつつも、本当に命を削って書きたいのは女中と寝たとか寝なかったとかのウジウジ私小説なのだろう。しかし、しかし庵野秀明が最も輝く戦場はラノベなんですよお。ドエンタメなんですよお。「それは違う。エバンゲリオンが単なるロボットアニメでは終わらなかったからこそ、歴史に残る作品になったのだ」と言う人もいるだろう。そりゃまあ、そうなんだろうと思う。しかし、しかし、オレに言わせりゃ純文学より、斬新なロボットアニメ作る方が偉いんだ。それってヤマト、ガンダムの次の、アニメの顔ってことだよ。スゲーじゃん。立派だよ、みんな歴史の教科書に載るくらい立派だよ!

東宝のシンゴジでは私小説やらずにエンタメを貫徹してメチャウマじゃねーか。それが自腹で作るエバンゲリオンになるとなんで私小説になるんですか。エバンゲリオンでいつもやってることってシンゴジでたとえるならば、核攻撃のリミットが迫る中、長谷川博己がトラウマをブツブツ言い出したら巨災対のみんなもギャーギャーわめきだして、暗黒舞踏みたいなことやってみなさん仲良くなって、気づいたらゴジラはいません。石原さとみと東京駅から丸の内へ走り出して、宇多田ヒカルが流れます。はじめてのルーブルは~。うーん、いい歌だのう。おい何だこれ1800円返せよ。

それとも、それとも皆さんには理解できたのでしょうか… シンエバの後半、新用語満載でそびえ立つあのクソの山を… 「ホネホネ戦艦でヤリを作る!」とか言われてすぐ理解できて、そうかその手があったか、このヤリで夢☆勝ちます! って心から思えたのでしょうか… 戦艦が巨大綾波の目ン玉に突撃しようとして、なんか膜みたいなんがビヨーンてなって、あそこで皆さんすべてを呑みこんで「がんばれミサトさん! もうちょっとで膜を破って目ン玉に突撃や!」とか、きれいな心で応援上映できたのでしょうか… 何が何をどうすればどうなる、という法則のようなものは、ここには何ひとつないんだなとわたくし途方に暮れました。画面で起こっていることが何ひとつ理解できずにポッカーンとしてて、でもひとつだけ心の底から理解していたのは、「アーこれ、エバンゲリオンのいつものやつだ…」ということだけでした。また、負け戦だったな。ぼくちゃんおもしろカッコいいロボットアニメが観たかっただけなんだけど…

よしんば「シン・エヴァンゲリオン新劇場版」がオレのような低能にも理解できて泣いちゃう大傑作だったとしても、テレビシリーズや旧劇の惨劇がなかったことにはならないし、ご都合で話を転がしてきた前科も消えないし、庵野秀明がイキって映画のことを「シャシン」と呼んでいたという恥ずかしいアレも消せやしない。エバ作ったってキャバクラでは通用しないと、庵野秀明はそう言ってたのだ。いったいなぜキャバ嬢にモテモテになることがアニメ監督の成功であると定義したのやら、オレにはよく判らない。アニメ評論家の氷川竜介さんとかにはモテてるんだからそれでいいではないか。

わたくしとて庵野秀明監督のウデはとても高く買っています。それはもう、疑う余地がない。しかし作家としての信用はゼロ、いやマイナスですマイナス宇宙です。話し合おうシンジ。話せば判る、問答無用! 終わり方も気に入らなくてねえ、駅のホームにはチルドレンしかいやしない。駅を出たらいつもの宇部市。それって別の地獄にズレただけなんちゃうん。貞本版のマンガでは通勤ラッシュの駅構内が描かれ、よく知らんモブの中で生きてゆく健全な感じで終わってたけどなあ。

まあ皆さんがちゃんと終わったって言ってるんだから、エバーは終わったんだろう。終わったことにしよう。ハーイおしまいおしまい。…まーでもこれさえも旧劇の時に思ってたことで、それなのに新劇が始まっちゃったわけなんだが! わけなんだが! 

さて公開2週間後にNHK地上波で放送された「プロフェッショナル・仕事の流儀」がシンエバ庵野秀明を取材しており、たいへん話題になった。これも自分の観測範囲を見ていると、面白かったとほめてる方々が多い。オレはかなり酷いドキュメンタリーだと思った。面白いのは極上の素材である被写体・庵野秀明なのだが、しかし出会い頭にまたぐなよとカマされ、いいようにあしらわれて宣伝に使われて、核心には踏み込めなかったダメなドキュメンタリーだと思った。ただやっぱり観てよかった、観るべき番組だったと思うのは、庵野秀明が国民的映画作家へ祀りあげられつつある時代の空気が捉えられていたからだ。この「祀りあげ」は「シン・ゴジラ」が大ヒットした2016年にすでにひっそり始まってたんだけど、同年には新海誠の「君の名は。」が超特大ヒットを飛ばしちゃったもんで、新たな「国民的映画作家」枠はメディア側にとっても扱いやすい新海先生がひとまず担うことになった。なんせ新海先生、その年の紅白歌合戦のためだけにPVなんか編集しちゃうのだ(人がよすぎる)。しかし映画はイカレてるけど御本人は腰の低い常識人である新海先生よりも、映画も本人も全開で狂ってる庵野秀明の方がテレビ的には「珍獣」としての価値が高いゆえに、今回の番組が実現したのだと思う。まあでもガードが硬くて大変だっただろうね。またTwitterでは奥さんの安野モヨコさんまでもが聖母のように祀りあげられているのを見かけて、あのーわたくし詳しくはないんだけど、あの人は庵野秀明にヒケをとらぬモノホンの極道(クリエイター)じゃないでしょうか。我々の如きザコにまでやさしい人ではないと思います。