「フランケンシュタイン対地底怪獣」をナメた記述にベリーベリーオコッタ

わたくしは「フランケンシュタイン対地底怪獣」という映画を人からはちょっとどうかと思われるほど好きで好きで、過去にこのブログでも感想を書いたものだ。皆さんも観るといいと思います。

pencroft.hatenablog.com

そして今日、たまたまTwitterでこういうツイートを拝見しまして。

このツイートのリンク先、今井瞳良さんによる論文「火を吹くゴジラと燃えない団地ー「戦災」の記憶から断絶されるフランケンシュタインー」は非常に面白く興味深く、作品に対する論者の見識と愛情には心から敬意を表したいと思った。長くもないので、皆さんも読むといい。

researchmap.jp

しかしこの素晴らしい論文の中に、引っかかる記述があったのだ。

原子力映画」というカテゴリーを提唱するミツヨ・ワダ・マルシアーノは、観客に原子力の「安全神話」を提示した作品の代表例として、不可視な事象である被爆を可視化するフランケンシュタインを物語空間に閉じ込める『フランケンシュタイン対地底怪獣』を挙げている。

フランケンシュタイン対地底怪獣」が原子力の「安全神話」を提示している…? おいミツヨ、バカすぎるやろ。何がどうしてどうなったらこのような理屈がアウトプットされてしまうのか… そこでわたくし早速この御意見が書かれた本を探して、当該箇所を読んでみました。

戦後映画の産業空間: 資本・娯楽・興行

戦後映画の産業空間: 資本・娯楽・興行

  • 発売日: 2016/07/08
  • メディア: 単行本

正直言って学のない自分はこの本を編んだ谷川建司さんを存じ上げないし、縁も恨みもございません。ただし「戦後原子力映画と「安全神話」史」という章をお書きになったミツヨ・ワダ・マルシアーノ先生。渡世の義理により、お命いただきます。嘘です。

では、ミツヨ先生が「フランケンシュタイン対地底怪獣」に言及したくだりを見ていただこう。

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アイ アム ベリー ベリー オコッタ!ショーン・コネリー) これさー、すげえ間違ってるよ。言いがかりもいいところだよ。これはちょっと酷すぎるなあ。

東宝を中心に乱造された多くの怪獣映画」

「乱造」という言葉から、この人が怪獣映画のことをあんまりマジメに考えてないことが判る。だって「本多猪四郎円谷英二監督」だもんなあ。この人にとって「特技監督」或いは「特殊技術」といった役職は、まったくどうでもいいことなんだな。呆れるわ。脚本の馬淵薫については言及もなし。

「怪獣のサイズ、つまり彼らの異常な巨大化は、原子爆弾被爆による異変であるという前提が、原水爆時代に生まれた新しいジャンルの一つの決めごととして、製作側と観客の間の了解事項となっていた」

そうかあー? 放射能で巨大化したのって「放射能X」の蟻とか「戦慄!プルトニウム人間」のマニング中佐、同じくバート・I・ゴードンの「巨大蟻の帝国」とかじゃないの。日本映画で放射能による変質を描いたのは、なんつっても東宝の変身人間シリーズだよな。「マタンゴ」とか「美女と液体人間」とか。巨大化は、特にしていない。ゴジラだって、山根博士によれば水爆実験で生息環境を破壊され放射能を帯びることとなった古代の生物ではあるが、別に巨大化したわけじゃあない。ゴジラはもともとデカかったのだ。このミツヨさんは、いったい何を言ってるのだろうか。大丈夫か?

原子力によって引き起こされた不可視の現象(被爆)を可視化し(巨大化)」

あー、ミツヨいけない。それ以上いけない。お前ちゃんとマジメに映画観てないやろ。確かにフランケンシュタインの怪物は被爆者、「原爆の子」だ。しかし大きく成長したのは被爆してからずいぶん後になってからで、爆発的に巨大化したきっかけはマスコミの横暴な取材に怒りを爆発させたことだった。彼はここで人肉の味も覚えてしまう。つまり彼が巨大化したのは、彼が「フランケンシュタインの心臓から発生した怪物」だったからに他ならない。この映画には同じく被爆した美少女・多鶴子さんも登場し、原爆症でひっそり死んでいる。彼女は巨大化しなかった。

ミツヨは自分の立てた論に沿うように、実在の映画を強引に、無理やり当てはめているだけなのだ。ハナからその気満々で映画を観るもんだから、普通に観てれば理解できるストーリーも歪めて曲解してしまうのかもしれぬ。つまり全然、読めてないのである。

このくだりの前には、新藤兼人の「第五福竜丸」を「危険を物語空間に区画化」して「加害者を不可視に」していると言って批判してる。お前よお新藤兼人先生がどんだけ貧乏してウケない映画を死ぬ気で作ってたか知ってんのかよお! イヤこれは情緒的すぎる反感であった。ミツヨさんは同様に「太陽を盗んだ男」の原爆も「形骸化された一つの記号」と切って捨てる。結局、「フランケンシュタイン対地底怪獣」もご自慢の「区画化」理論にどうにかして組み込みたいだけなんだ。ちょっと自分が読み取りたいものを読み取りすぎなんちゃうん。じぶん思い込み激しいタイプなんちゃうん。

「二〇メートルの巨人にまで成長したフランケンシュタインは、彼と同サイズの地底怪獣バラゴンとの無意味な戦いに挑む」

なあにコラァッ! タココラァッ! お前に何が判るんだ。何が無意味なんだ。何が無意味なんだッ! お前ホントにこの映画観たんか。水野久美が地底怪獣に襲われかけた時、彼は我が身を省みず怪獣に挑んだんやんけ。なんや、黙って水野久美が喰われるのをボケッと見とればよかったんか。もう目ン玉曇りすぎにも程があるやろ。こんなやつの言うことは、一から十までまったく信用できない。無意味なのはお前の文章なのだ。

フランケンシュタイン対地底怪獣」が、観客を安全地帯に据えて原子力の「安全神話」を提示している… こんなバカな主張は聞いたことがねえわ。ホント、何度も書くけどお前本当に映画を観たのか? 観る前からバカにしてたんじゃないのか。お前は本当に、オレと同じように目を皿のようにして、クソ真面目に、愚直に、真摯に「フランケンシュタイン対地底怪獣」を観たのかってんだよ。「安全地帯」から映画と時代や作り手を「区画化」しているのは、いったい誰なんだよ。お前なんだよ!

ミツヨ・ワダ・マルシアーノさんは、経歴を読むとハッキリ言ってインテリですわ。カールトン大学教授、京都大学大学院文学研究科客員教授。著作も幾つかあります。頭いいんだと思います。オレは頭よくない。でも軽蔑します。オレは心から軽蔑します。書いてることがいいかげんすぎる。こいつがやってることは批評のタームを弄ぶ脳内空中戦であって、こんなしょうもないもんを研究とはオレは思わない。上記の今井瞳良さんの方が、遥かに研究対象に肉薄している。今井瞳良さん、単著を出してくれませんかね。本で読みたいですわ。

えー、少々取り乱してしまいましたが、なにしろ世の中にはクソみたいな言説がインテリの顔してまかり通っておることよ。こういうのは叩き潰しておきたいと、わたくし僭越ながら思っとるわけです。でもまあ、ミツヨさんのズレまくった記述、オレはちょっと懐かしい感じもしたんだよな。昔はこんなんばっかりだったよ。怪獣映画なんて、怪獣ってだけでもう観るまでもなくバカにされてなあ。そこに誰も描いてこなかった宇宙の真実が隠されているなんて夢にも思ってない、バカな大人ばっかりだったよ、オレがガキの頃は。しかしまあ、今も変わらないのかもな。はい、そういうわけでミツヨさんはもう一度虚心坦懐、曇りなきマナコで「フランケンシュタイン対地底怪獣」を観てください。Netflixでも配信しとるで。

追記

今井瞳良さん、この3月に単著を出されたばかりでした。失礼しました。

団地映画論―居住空間イメージの戦後史

団地映画論―居住空間イメージの戦後史

上記論文は「第1部 第三章 火を吹くゴジラと燃えない団地」として収録されているようです。読んでみます。