南の島でCQB 「Coo 遠い海から来たクー」

CS放送で1993年のアニメーション映画「Coo 遠い海から来たクー」をはじめて観た。なぜか円盤化されてない作品。景山民夫の原作は未読。

「格闘技元年」「黒船の年」である1993年は、今作以外にもスピルバーグの「ジュラシック・パーク」、角川春樹の「REX 恐竜物語」が公開されて興行界はちょっとした恐竜ブームだった。嘘ですごめんなさい。ただの「ジュラシック・パーク」ブームでした。

COOはアニメーターが勝手に頑張って可愛くしてくれ、原作や脚本や演出のやりたいことは別にある。という感じの映画でしたよ。

このビジュアルからは想像できないでしょうが上映時間の半分はCQB(近接戦闘)です

延々と描かれるCQB(近接戦闘)の印象しか残らない。日本が最も平和ボケだった時代、あえて「軍事」にとりつかれた作品は少なくない。それが当時の「世界の真実」という認識だったのだ。 (★3)


今作の脚本を書いた岡本喜八には「ブルークリスマス」があったし、我々オタクには「メガゾーン23」があった。橋本忍の頭のネジが外れた怪作「幻の湖」にだって、抗えぬ巨大な武力としての軍事が濃い影を落としている。どれもこれも根っこには陰謀論陰謀史観がある。


わたくし思うに高度経済成長からバブル景気へ向かう過程において平和と繁栄を謳歌しまくっていた日本人は、実は強烈に後ろめたかったのではないか。オレがガキの頃には(70年代後半~80年代前半)やれカンボジアでは飢えた子供が今も死んでるとか、アフリカでは子供が1日がかりで水を汲みに行って帰りにライオンに食われるとか、外の世界の残酷をやたらと吹き込まれたもんだ。石油はあと30年でなくなるとか言われて脅かされたもんだ。日本人は軽薄なので好景気に浮かれていたんだけど、生きものの本能として「こんな筈がない」「こんなうまい話が続くわけがない」と頭のどこかで判ってて、それが無意識の警戒心となって数多くのフィクションに表れていたのだろうと推測する。


原作未読だが、この映画も「時代の子」だなあと思う。それなりに南の島の細部を丁寧に(山本二三!)描いてるのに、生活感やリアリティは感じられない。雨に濡れたお姉ちゃんが、見せないもののシャツを脱ぐチョロいサービス。わたせせいぞう級のチャンチャラおかしい感じ。とりわけ少年の声は幼すぎ、聞いててキツかった。

COOを目当てに南の島に攻めてくる武装した軍人たちに対して、民間人の主人公サイドは知恵と工夫とガッツで抵抗する。南の島のランボーみたいな展開で、これを観た当時のお子さんたちは何かに目覚めてしまったのではないかと心配になる。

原作小説は直木賞とってんだな。「ドラえもん のび太の恐竜」の剽窃ではないか、などと言われることもあったという。モチーフに似た点はあれど、藤子・F・不二雄先生がこんな生煮えの軍事描写するかよナメんなよ、パワーがダンチなんだよということは言っておきたい。「のび太の恐竜」なんて直木賞100個分なのだ。