栄冠はオレに輝く 「風立ちぬ」

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宮崎駿の新作「風立ちぬ」を新宿ピカデリーで観ました。以下ネタバレ感想。

二郎は美という呪いに囚われた、永遠の奴隷だ。それでも懲りない、懲りないのが凄い。 (★4)


死期が近づいた作家は子供に還ったかのように、自身の生涯を貫くテーマを正直にゴロリと吐き出すものらしい。たとえば教える者と教わる者、教育と学習を大きなテーマとしていた黒澤明は、遺作「まあだだよ」で身も蓋もない甘々の師弟の姿をぬけぬけと描いていた。宮崎駿の場合それは、職能至上主義と高純度のオタク人生にあたるようだ。「風立ちぬ」は堀越二郎と堀辰雄の物語であると鈴木敏夫は笛を吹いているが、その実態は宮崎駿の理想化された自伝である。そもそも紙の上で鉛筆を走らせてありもしないものをでっちあげるアニメ屋の仕事は、設計士のそれによく似ている。アニメーションという特殊な職能を極めた宮崎駿が、たとえば大空のサムライ坂井三郎などよりもむしろ設計者の堀越二郎に自らを投影するのは当然のことだ。憧れの対象、夢のカプローニおじさんは若き日に出会った「雪の女王」か「白蛇伝」か。現実の堀越二郎が本当にこのような世慣れしてない、無頓着な、世事に疎い、赤ん坊のように悪気なき純粋オタクだったのかどうかは知らぬがもはや関係がない、これは宮崎駿の私小説なのだから。膨大な才能と仕事量で周囲の雑魚スタッフを蹴散らしてきた怪物・宮崎駿の物語である以上は、多少ばかり倫理的におかしな作品になるのはやむを得ない。


出会い頭から少年少女がフランス語でツーと言えばカー、大正時代にどんだけハイソな坊ちゃん嬢ちゃんやねんという描写がある。宮崎駿はのっけから「これはスーパーエリート天才マンと上流階級ブルジョワジーマドンナの物語、つまりは職能を極め尽くしたオレ様と国宝級美少女ちゃんの話であってお前らしょうもない愚民の話ではないのだ」と宣言しているのだけど、そこは訓練されたオタクである僕ちゃんなんかすっかりその気、しょぼい身の上は棚に上げて余裕でついていけるんだから始末に負えません。それにしても、その昔は立てよ民衆カモン労働者、共同体バンバンザイ言うてた人が… まーいろいろあったんでしょうな。


陸海の軍人連中の扱いの悪さたるや凄まじい。他人のことはどうでもええねんという宮崎駿の本音がモロ出しだ。オレはええのよ、オレはそれで気持ちええのよ。でも世間の皆さんはどうなんでしょうかと心配になる。曲がりなりにも二郎の飛行機に乗って命を張る連中なのだ。も少し愛情があってもいいのではなかろうか。このあたり原作漫画ではいくらか愛情もあったんだけど、映画は原作の魅力ある細部や愛嬌あるキャラクターたちを切って、思いつめた個人史としての純度を高めるばかりでちと息苦しい。


この映画、大枠はモデルグラフィックスに連載された原作漫画と大差ないのだけど、実は物語の核心に大きな改変がある。原作の二郎は多忙にもかかわらず高原病院に駆けつけ、想い人の菜穂子を見舞う。静かに死を受け入れていた筈の菜穂子は、二郎との逢瀬に「急につらくなっちゃったの… わたし生きたくなったのね…」と泣きだしてしまう。これはなんちゅうか、実に人間的でグッとくる素晴らしい描写だったのだけど、映画になると全然違った。


二郎は高原までお見舞いに来ない。菜穂子は飛行機作りに夢中な二郎の手紙を読んで不安に襲われ、二郎の元へ走る。花嫁姿の美しさで二郎の心を奪った菜穂子は、九試単戦の完成まで二郎を支え続ける。菜穂子の美しさは七試艦戦の失敗で美に見放された二郎を救ったばかりか、宮崎駿曰く「日本でいちばん美しいヒコーキ」である九試単戦を作り上げる原動力となる。菜穂子は深夜も図面をひく二郎の手を握る。これは宮崎駿の願望欲望の頂点であろう。定時で帰る生ぬるい雑魚スタッフを尻目に、深夜ひとりレイアウト用紙に向かい世界を変えるアニメを創造する孤高の天才アニメーターの左手を、薄幸の美少女がそっと握って励ましてくれるのである。手を握られてなお仕事に没頭し、結核患者の隣でタバコまで吸っちゃう宮崎駿。宮さん飛んだよ。これこそが人生の絶頂、栄冠はオレに輝くでなくて何であろう。ジブリのフロアは禁煙か? 大丈夫、二馬力のアトリエなら吸い放題だ。タバコも吸わずに創造的な仕事ができるか愚民どもってなもんで、まーこのへんの愛煙家マインドは先の短いパンチドランカー老人のワガママ、是非とも笑って勘弁してあげていただきたいところであります。オレにも一本くれ。


九単を完成させ疲れて眠る二郎のメガネを外し、素顔の恋人を抱き寄せる菜穂子。せめて美しさ以外の私も見てほしいという思いが、彼女にあったのだろうか。しかしそんな想いがあろうがなかろうが知らぬ存ぜぬの二郎であり宮崎駿なのであった。


二郎の前で常に美しくあった菜穂子は、その若さと美しさを九単に吸いとられたかの如く高原病院に去ってひとり死ぬ。このふたりの恋愛はどこかいびつで、両者が互いに報われぬ片想いをしているようにも見える。二郎が愛した飛行機に、菜穂子は興味がない。菜穂子が望んだ幸福に背を向け、二郎は飛行機を作る。美に人生と才能のすべてを捧げたばかりに、恋女房ひとり看取ってやれぬ。二郎は美という呪いに囚われた、永遠の奴隷だ。それでも懲りない、懲りないのが凄い。ふたりの間に、吾朗は生まれもしなかったのだ。自分の役は庵野秀明(意外に好演)に託したのに。吾朗がんばれ。僕は吾朗を応援します。


「生きて」だの「生きねば」だの口では眠たいことをゴチャゴチャ言うてるけど、一方でこのクソジジイはもう死にてえんだよ。オタク道を全うして、美しいものだけを抱いたまま死にてえんだ。美しいものにすべてを捧げ、雑魚を踏みつけそれでも生きて、生きて生きてそのまま死にたい。死の際まで常にタバコは吸っていたい。宮崎駿は死んでもタバコを口から離しませんでした。涅槃では憧れのカプローニおじさんと終わらないオタクトークに花を咲かせたい。オレが死んだら三途の川で〜 鬼を集めて空手する〜 ダンチョネ〜(「空手バカ一代」より)。このオタクの妄執エゴイズム、オレにはよく判る… いや冗談抜きでホントになんとなく判る気がするのです。これは倫理としちゃあ決して褒められたもんじゃないんだけど、オレ自身これが背徳的に気持ちいいことは認めざるをえない。世間の皆さんにオススメできる立派な映画とは全然思わないけど、わたくし個人はこの映画、大きな声では言えないけれど、やはりちょっと好きですねえ…


それでもやっぱり世の人々は様々で、人生もいろいろだ。好きなことを生業にでき才能を発揮できたうえ、それに人生賭けて悔いのない人間の割合など、決して大きくはないだろう。だからこの映画、雑魚である我々大衆には全然優しくない。でもヒットするんだろうな。


戦争や零戦はほとんど描かれない。創造的人生の持ち時間の終わり、ズタズタになったという二郎の苦闘も描かれない。エリート揃いのモデルグラフィックス読者なら堀越二郎の名前だけで描かれぬ歴史も汲みとれるのかもしれないが、映画としてはなんともバランスを欠いているように見える。「生きて」「ありがとう」の涅槃で終わるのは、随分虫のいい話に思える。実在の堀越二郎は後進の教育にあたり、国産旅客機YS-11の設計に参加し、78歳で死んだ。たいへんな奥のある人物なのだが、まあこの映画はおじいちゃんの自伝なので仕方がないと思うしかない。


以下余談。近年の宮崎作品のルックに、わたくし不満がある。「もののけ姫」あたりまでは現実的に見えた色使いが、「千と千尋の神隠し」以降はパステル調というか、不自然に明るくなった。描線は丸みを帯びてツルツルぷよぷよ、物体は妙な光沢と弾力を備えるようになった。アシタカの涙は筋になって頬を流れたと記憶しているが、千尋の涙は粘性を得て玉になる。世紀の変わり目から、宮崎世界の物理法則が変わってしまったのだ。「ハウルの動く城」なんか特にひどかった。今回もそれはあんまり変わらず、ガッカリしたことも記しておきます。原作漫画の水彩画の方が、遥かに魅力的だと思う。

零戦 その誕生と栄光の記録 (角川文庫)

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