同人映画「パシフィック・リム」に感じた満足と不満

7月下旬から8月中旬まで、仕事で秋田に行ったり滞在したりたまに東京に戻ったりで大変で、映画も全然観られなかった。先日ようやく落ち着いたところで早速「パシフィック・リム」を観てきました。いやー東京最高ですなー。まーだいたい予想通りの感じだったんだけど、わたくし個人的にデル・トロ監督の才能って今川泰宏監督の10分の1くらいだと思っているので、充分に健闘したんではないかとも思いましたよ。それから、やっぱり「ロケットパンチ」という空前絶後の発想を生んだ永井豪は天才としか言い様がないと思ったなあ。デル・トロが飛べなかった崖を、何十年も前に軽々と飛び越えてるもんなあ。

日高のり子が稲妻キックしなきゃならないのだ。坂本真綾がエキゾチック・マニューバしなきゃならないのだ。 (★4)
公平を期してまず書いておかねばならないのは、このお寒い時代に斯様な題材の映画を企画し完成させ公開してくれたことへの感謝だ。わたくしも楽しませてもらったので、基本的にはこの映画に好感を持つ者であります。


デル・トロ監督は、日本の怪獣映画やロボットアニメが大好きだという。オーケイ。きっとそうなんだろう。しかし一方で、日本の怪獣映画やロボットアニメの歴史は創造、様式化、破壊の積み重ねであり、その果てに一見さんお断りのハイコンテクストと化した異形の文化なのだ。1本のハリウッド製映画として自立するしかない「パシフィック・リム」は、はじめからローコンテクスト作品であることを運命づけられている。ここにおいてすでにデル・トロ監督の苦戦は決定されている。


たとえば現在OVAで完結間近の『機動戦士ガンダムUC』なんかオレに言わせりゃロボットアニメという土俵で人類が到達した文化の最高峰だろうと思っているが、じゃあロボットアニメを全然知らずに育った坊ちゃん嬢ちゃんがこれをいきなり観て面白いかといえば、これは全然面白くないのである。一見さんには、画面の中で何が行なわれているかさえ理解できないだろう。先人の偉業の歴史を知らぬ者は、その積み重ねの上に咲く花の美しさと価値を十全には理解できない。ハイコンテクストとは、かくもめんどくさいものなのである。


何もかも知り尽くしたうえで自覚的に手を汚す庵野秀明樋口真嗣に比べれば、「パシフィック・リム」のロボットアニメごっこは無邪気で微笑ましいものだ。これはこれで、オレは好きだ。しかし「ごっこ」或いは「同人映画」の域を出ぬものであることも明白である。ロボ発進シーンのモタモタ感、周辺作業の描き込みや段取りの積み重ねの不足、フェティシズムの欠如。特に怪獣やロボットへの本質的な興味のなさは致命的だと思った。どう贔屓目に見ても「さすが判ってらっしゃいますなー」とは言い難い出来である。ならば下手な模倣よりも面白いのは、日本人の発想からは出てこない部分である。特に怪獣をタンカーで殴りつける場面、勝利してなおトドメを刺す場面は素晴らしい。新鮮な驚きを感じた場面であった。


ローコンテクストがハイコンテクスト包囲網を突破するには、このような素人ゆえの蛮勇、埒外の発想こそが有効なのだと思う。ポン・ジュノの「グエムル 漢江の怪物」はそこを徹底した作品で、本筋のストーリーにいろいろ文句はあったものの、スレきった腐れ怪獣オタクたる自分にも新鮮な驚きを与えてくれた。それを思えば「パシフィック・リム」はちょっと力不足だったかなあと思います、残念なんだけど。見せ場が夜や深海ばかりで、白昼の対決が全然ないとかねえ、どうかと思いますね。


あとは好みの問題になってしまうが、いちばん大きな文句は菊地凛子のキャスティング、ひいてはパイロットの扱いにある。この映画、ロボットのパイロットは生身でも強くあることが要求される。だから棒術の試合なんかやってる。菊地凛子なんか映画の要求通りにマジメに肉体を鍛えちゃってて、もうゴツくて見てられない。ああいうの全部いらない。無用だ。ロボットがデカくてゴツイほど、パイロット特に女性は可能な限り華奢で可憐であるべきだ。このへん、アニメから全然学べてねーなあ。日高のり子が稲妻キックしなきゃならないのだ。坂本真綾がエキゾチック・マニューバしなきゃならないのだ。劇中で一番いい芝居してた芦田愛菜がそのまま乗ってもよかったくらいだ。なにしろデル・トロ監督の少年性は映画から性の影を排除する傾向にあり、司令官と菊地凛子の関係が匂わせるべき淫靡さとか、男女の「ドリフト」が精神に及ぼす影響とか、そういうアレが全然アレしない。王蟲の触手がナウシカを、イリスの触手が前田愛を官能的に包みこむべき場面で、怪獣のベロがナード学者を飲み込みそうになるとか何の悪ふざけだろう。あのへんは、もっとアレしていただきたいところであった。