実際どうだったかは知らないが、オレからするとどうにも温度の低い大会である。パッと見は豪華だが、強烈に惹きつけられる求心力のあるカードはない。守られた桜庭は、もう見たくないんだよなあ。そして、あろうことか今回はシウバさえ守られているようにオレには見えてしまったのだ。オレならボブチャンチン対シウバ、桜庭対中村、ホジェリオかダンヘン対吉田、近藤対アローナとかリスターとかヴィクトーとかあのへんの地味な人たち、というカードを組むがな。あとジャイアント・シルバ対金魚も組むけどな。ユン・ドンシクは柔道家とやらせたほうが面白かったと思う。まあ、今更何を言っても後出しジャンケンなのだが。
先日オレが書いた「総合には天龍がいない」問題は、功労選手に温情をかけろというものではない。ただ顔を立ててくれというものでもない。八百長をやれというものでもない。そんな安易な方法で解決するなら、はじめから苦しみはしない。そんなもんなんぼでもヤオでもブックでもやったらええねん。ハナからそういう話ではないのだ。選手が活躍してスターになっていくさまを見られる時間より、愛するスターが落ちていくさまを見なければならない時間のほうが圧倒的に長いこの構造、本当にどうにかできないものなのか、仕方のないことなのか。落ちていくならまだいいほうで、大半の選手は勝てなくなったら消えるだけなんだ。武藤敬司を気取るわけじゃないが、オレは原則として興行を観た観客はハッピーにならなければウソだと思っている。客から金を取るってのは、そういうことだ。しかし今のPRIDEが観客を本当にハッピーにさせているのか、オレはそこに自信が持てなくなってるんだよな。選手は文句なしに凄いことをやってるんで、それに対しては喜んで金を払うよ。でもそこじゃなくて、これはプロモーターの問題なのだ。完全に興行論なのだ。血反吐吐きたくて木戸銭払ってる人間はいないのに、取替え可能なスターが量産されては消えてゆき、かけがえのないスーパースターを長く愛することが不可能な世知辛さを嘆いているのだ。たぶんボクシングファンなんかずっとタフで、アリ級のスーパースターを何十年も辛抱して待ってるんだろう。凄いと思うよ。
海の向こうでは、UFCが完全にマニア向け格闘技として定着したようだ。それはそれでいい話だなあ、と思うのだ。片やPRIDEはプロレスに代わって世間と真っ向勝負してくれてはいるんだが、オレには世間がPRIDEに興味を失う瞬間が近づいているように思えてならないんだよな。正直、非常ベルは鳴ってると思ってんだ。ちょっと前に「ピーター・アーツ大好き!」「フグのかかと落としカッコイイ!」と言ってたクソみたいなお姉ちゃんどもが、今アーツを気にかけてんのかよ。フグに線香あげてんのかよ。ふざけろよお前ら、叩ッ殺すぞ! 時が流れPRIDEが時代の先っちょでいられなくなったそのとき、オレたちは何を誇ればいいのだろうか? オレたちの意地と誇りはどこにあると言うのか? しかしいくら勝ちまくっててもマウリシオ・ショーグンを誇る気には、言うちゃ悪いけどオレはなれないんだよ。それが、オレの問題なのだ。
それが、オレの問題なのだ。