今のプロレス、昔のプロレス

久々にプロレスの話を。ま、過去のエントリと同じく老害の世迷い言と小馬鹿にされるんだろうなとは思ってる。

2024年9月9日、小林邦昭が亡くなった。

2024年10月4日のBS朝日「ワールドプロレスリングリターンズ」は、今年のG1の放送の中に追悼枠を設け、1982年11月4日蔵前国技館のタイガーマスクvs小林邦昭を放送した。試合結果は13分40秒、小林邦昭の反則負けである。

1972年生まれのオレは、小学生時代に複数回にわたりタイガーマスクの直撃を喰らった世代だ(漫画「タイガーマスク」、アニメ「タイガーマスク」、佐山の初代タイガーマスク)。この試合の放送も、当時リアルタイムで観た。

さて今回の放送が特殊なのは「ワールドプロレスリングリターンズ」というひとつの枠の中で、2024年のG1の試合と1982年のタイガーvs小林を、期せずして見比べることになるという点だ。現代のプロレスと、42年前のプロレスの比較だ。ハッキリ言って、比べものにもならない。タイガーvs小林は面白すぎた。

わかっちゃいたことではあるが、現代のプロレスはすっかり組体操まるだしだ。問題は「まるだし」であるか、そうでないかである。タイガーvs小林の運動神経とスピードは今見ても異常な水準ではあるのだがそういう話ではなくて、たとえばタイガーがプランチャ狙う~場外の小林逃げる~タイガーやむなくプランチャやめる、といった現代プロレスでほぼ見なくなった「攻防」の場面が再三あり、非常に強い印象を残すのである。

現代プロレスにおけるプランチャといえば、場外の選手が両手を広げてサーいらっしゃい状態まるだしのガバガバである。なんですかルーチャですか?(マサ斎藤) ルチャをワケも判らずに低レベルで模倣するから、致命的に迫真性を失っているのだ。下手すりゃプランチャを常に、必ず受けるのがプロレスラーの仕事だと勘違いさえしている。

猪木がいた頃の新日で若手がサーいらっしゃいとか、エルボーオイオイ、チョップペチペチ合戦とかやってたら竹刀持った小鉄か猪木が走ってきてボコボコだ。おい、やっぱりゲロった現代プロレスは緊張感ないよお。内実が同じでもガワがだらしないとぜんぜん違うよお。

ゲロったプロレスについてはこちら。
pencroft.hatenablog.com

普通に考えればプランチャ受けるってメチャクチャな話ですよ。だから当然逃げる、容易には決めさせない。でも稀に決まってしまう。メチャ興奮する。斯様な常識に則った試合構造、構造を支える方程式を全部忘れて開き直ってエルボーオイオイ、チョップペチペチ、ふとももパッチンとかして尺を埋められても困っちゃうのである。昔も今も、プロレスは真剣勝負ではない。闘いのデフォルメであり、ケツも決まってる。観客も理解してる。だからといってそこに安住して観客の好意的理解に甘えるプロレスと、迫真性を保つ努力を怠らぬプロレスが、同じものではありえないのは理解していただきたい。「迫真性」が時代とともにサジ加減が変化する、蜃気楼のようなものであるとしても、である。

さてこんなことを書きつつもオレにはもうひとつ、現代プロレスへの不満がある。今の日本のプロレスは、ショルダースルーを全然しない。ショルダースルーをしろ。オレはショルダースルーを見たいんだ。お前ら毎日ショルダースルーをするんだ!(迫真性はどこいった)